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2010年3月28日

《十字架への道》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ11:1〜11

  受難(四旬)節第6主日、棕櫚の日、教会総会開催日。
  聖書日課 ゼカリヤ9:9〜10、マルコ11:1〜11、フィリピ2:5〜11、詩24:1〜10、
       イザヤ50:4〜7、(マルコ14:32〜42)、
  讃美歌9,129,356、交読文7(詩24篇)

 前主日にほころび始めた庭の桜ですが、その後の寒の戻りの影響で、余り開いていません。
昨日の陽射しでだいぶ咲くようになりました。不思議なものです。少ししか咲いていないのに、順序正しく散り始めています。
 皐月や躑躅、春蘭やシンビジューム、そしてフリージャの花芽も雨を含んで、大きくなりました。白い韮の花も随分増えました。会館ホールの君子蘭も色づきました。
 気になるのは、カラスは増えたけれど、メジロは見えなかったし、スズメがめっきりその数を減らしているのではないか、ということです。ムクドリも少なくなりました。群れるはずの小さな野鳥が少なくなってきたように感じます。
時は確実に春になっています。

 教会の古い信徒の方から、質問をいただきました。
クリスマスは毎年同じ日なのに、イースターとそれに関連する日は、何故年毎に違うのか、ということです。
教会はその長い歴史の中で、様々なことを決定してきました。
それが、教会の教義であり、信仰生活に関わる多くの事柄でした。それらは本来、個々の人格を拘束するためではなく、教会の信仰と信仰者の生活を守り、発展させるためでした。
 残念ながらいつの間にか強大な権力によって束縛されることが自分を守ることのように感じる傾向が出て来ました。新興のカルト宗教にも関わることです。

 教会暦・教会のカレンダーも同じ目的を意識して決定されてきたはずです。
日常の時間の中で限りない時間の循環を感じませんか。いつまでもそれが続く、それに流されているという感覚。時は流れ、人はその中に身を委ね、任せるしかない。
運命・宿命論という人もあるでしょう。
 それに対して教会は異なる主張を持ち、教会暦に折り込み、教えて行こうとしてきました。
それが、この時間には始まりと終わりがある、ということなのです。日本キリスト教団口語式文によれば、教会暦としては、主イエスの降誕を待つ『待降節』に始まり、『降誕日(12月25日)、公現日(1月6日)、灰の水曜日、四旬節、棕櫚の主日、受難週、洗足木曜日、受難日、復活日、昇天日、聖霊降臨日、三位一体主日』、以上13項目が挙げられています。どうしても挙げてほしいのは『終末主日』です。これなしでは首尾一貫しないのです。時間の循環という考えのままになりそうです。
 この殆んどは移動祝祭日です。年毎に、その日が違ってくるものです。その基準は復活日であり、その基準は春分の日になります。公式を申し上げましょう。
 『復活日は、春分の日の後の、最初の満月の日の後の、最初の日曜日が充てられる。』
そして、これ以降の祝祭日は、復活日から計算され、決められます。
 昔、エジプトで奴隷の民となったイスラエルは、モーセに率いられて出エジプトを果たします。その過程で起こったことが『過越し祭』でした。子羊の血を門の柱に塗った家は、災いが過ぎこしました。これが出エジプト記12章に記される旧約の過越しです。
この屠られた子羊は、キリスト・イエスにほかならない、とするのはキリスト教会です。

 教会暦は、神の救いのご計画を表すように考えられて来ました。神学者の知恵ではありません。その能力を賞賛させるものでもありません。神が讃えられますように。

 本日の主題は《十字架への道》とされています。
主イエスは、慣れ親しんだガリラヤを去って、当時の権力者たちの巣窟であるエルサレムを目指して進みます。エルサレムへ上る道、と呼ばれています。東の低地にあるエリコを出発して、長い昇りの山道を経て東山麓の村ベタニア、そしてオリブ山の頂あたりのベトファゲ村を経て西に、目指す町の巨大な城壁を望みます。この時代には、七不思議のひとつに数えられたエルサレム神殿とその輝く二本の柱を目にすることが出来たでしょう。
 逆に動けば、エルサレムの東にオリブ山があります。頂付近にはベトファゲ村、下って東斜面にベタニア村。さらに東へ行けば、長い下りの山道の先にエリコがあり、ヨルダン川と死海があります。

 ルカはこの時、主イエスがエルサレムのために泣いた、と記します。19:41以下。
目に見える十字架を目指す道行、第一の道。

 此処で、実に晴れやかな、喜びに満ちた場面が展開されます。イエスと共に旅をしてきた人々、ガリラヤの人々や、評判を聞いて見に来た人々、そしてエルサレムからイエスを迎えようとして出てきた人々が、このオリブ山の麓で合流しました。大勢の人が一緒になるといっぺんにそのテンションが高まり、盛り上がります。

 多くの絵画は、この場面をエルサレムの城門に入るときのように描きます。それは芸術的なリアリティでしょう。聖書は、オリブ山の麓、「こうしてエルサレムに着いた」と記します。聖書に従うならば、巨大な城壁は見えるけれど、城門には距離がある、ということでしょう。
 この行進の次第は、印象的に描かれます。イエスに命じられた二人の弟子が、まだ誰も乗ったことがないロバの子を引いてきます。主の御用に適うロバの子はたいへん光栄です。
一般的に言うなら、訓練されていないロバは、鞍を載せることを嫌がるし、人を乗せるなどは論外です。この子ロバはすでに訓練済みであったか、主イエスは家畜を馴らす力をお持ちであった、と言いたかったか、どちらかでしょう。

 通常、王侯貴族や将軍の行進は、力強さを印象付けるような馬が用いられます。
平和の王としてこられたイエスは、ロバの子に乗って進まれます。それにも拘らず、群衆の歓呼の声は、王者を迎えるものでした。ダビデの血筋の王を迎えるものでした。
『ホサナ』は、「救い給え」を意味するヘブライ語。神への賛美として用いられる。ホサナは巡礼者が唱和する最後の言葉にあたり、人々には親しみがあった(詩118:25,26)。

 明るく、光と輝きに満ちたこの日の光景、路面には、衣類が敷かれ、葉のついた枝も敷かれています。前から、うしろから、歓呼の声が響きます。
誰もが希望に満ち溢れているように思える。事実そのとおりだったのです。
迎えに出てきた者たちも、従う者たちも希望に満ち、輝いていました。
ユダヤ人の王がやって来る、と預言され、多くの人から期待されていました。

 当時、ユダヤの王はヘロデですが。彼は正統の王ではなく、簒奪者の血筋と考えられていました。外国人の支配者として嫌われていました。
 彼の父親が、ヘロデ大王です。彼は、野心的なイドマヤ人傭兵隊長で、ハスモン王家から、ユダヤの王位を奪い取りました。その上、巨大な建設工事を行いました。国民の財産から奪い取ったもので自分を飾り立て、その力を誇りました。そうです、ローマ皇帝の友、ヘロデ大王です。血に塗れた王でした。王位を窺がう力があると認めると、妻も子も友人も次々に殺しました。大祭司でさえも。

 この時代の人々は、預言者によって預言された、真正のユダヤの王が到来することを望み、期待していました。歴史が証明するのは、その世界が混乱すると、人々は英雄が出ることを期待する、ということです。英雄待望論と呼ばれます。混沌たる世界ですから、実はこのような時代にならないことの方が望ましいのです。英雄が出現してくれる事はありがたいが、英雄を必要としない世界であることの方が、もっと望ましいのです。

 私たちには、苦しみがあります。肉体的にたいへん大きなもの。普通なら誰も経験しなくて済むもの。精神的なものもあります。ある人は言いました。「人生って、思い通りにならないもんだ」と。
主イエスの十字架は、苦しみへ向かう道。
拒絶したかったけれど、進んで受け入れたもの。
マルコ14:32〜42「ゲツセマネの祈り」は、そのことをよく示します。

 イエスの命は、罪の代価、贖い代として支払われました。
他の人の罪であって、ご自身の罪ではありません。
自分自身の罪の結果であれば、それは自業自得と言われ、自己責任と言われるでしょう。
主イエスの十字架は、御自分の罪ではなく、世人の罪を贖うためのものでした。
これこそが、十字架の真の意味です。

 私たちは少しばかり辛いこと、苦しいことにぶつかると、これが私の十字架だ、と考えるようです。私たちは、これを否定されると、怒ります。
「私のこの苦しみが判らないのだ、理解してくれようとしない」と言います。

 しかし誰がなんと言おうが、誰に何を言われようが、キリストの十字架は自分の罪の結果ではありません。他の人を、その罪から解き放ち、自由にするためのものでした。
キリストの弟子であろうとするなら、弟子になろうとするなら、自分の十字架を背負って私に従いなさい。マタイ16:24「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」

 私の罪の結果である十字架は、キリスト・イエスが担ってくださいました。
今や私が担うべき十字架は、自分のためのものではなく、他の人のためのものです。
受難週には、伝統的に断食がなされました。それは医学的、宗教的、社会的に重要なことと認められています。
 適正な断食は健康によろしい。
また主イエスの苦しみを偲ぶ方法としても、祈りに集中するためにも、適切なことです。更に、断食によって、困窮している人々に食事を提供することが可能になる。
初期の断食は夕食だけ、というような限定されたものだった、と言われます。さまざまな断食が考えられます。私の担うべき十字架のひとつとして、お考えいただければ幸いです。

 キリスト・イエスの十字架への道は、私たち一人一人の十字架への道と重なります。

 最後にペトロ?2:21(431ページ)をお読みします。
「あなたがたが召されたのはこのためです。と言うのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」

祈りましょう。