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2010年2月7日

《いやすキリスト》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ2:1〜12

  降誕節第7主日、
  讃美歌79、312、532、交読文14(詩50編)
  聖書日課 列王記下4:18〜37、ヤコブ5:13〜16、マルコ2:1〜12、詩編147:1〜11、

 寒い日が続いています。それでも日差しは、めっきり明るさを増してきました。
木曜日が立春、それも名ばかり、背筋から寒さが広がり、今冬初めてベストを身に着けました。金曜日、明るい陽が差していましたが、風を冷たく感じました。牧師館の庭に大きな、石をくり抜いた鉢があり、それに一杯、水を張り、金魚を入れてあります。最初10匹程度入れますが、冬を越すと1,2匹になってしまいます。現在のところ最低でも3匹はいるようです。陽射しの所為でしょうか、水面に浮き上がっていました。春が近いことを感じているのでしょう。のどかな感じでした。こんなことにも『いやしを感じる』、と言うのかもしれないと思いました。

 最近の流行り言葉でしょうか、「いやし」とか「いやし系」がよく用いられます。
本日の主題《いやすキリスト》を見て、最初に感じたのは、この言葉でした。

 いやしの物語は、第1章にも記されています。1:21〜28、汚れた霊に取り付かれた男、
1:29〜34、多くの病人、1:40〜45思い皮膚病を患っている人、そして本日の、中風の人のいやしとなります。
 余計なことになりますが、第1章のいやしの記事にも触れさせてください。

 先ず、1:32です。『夕方になって日が沈むと』となっています。これを以前は、一つの自然現象を二重に表現している。おかしな文章、下手な記述だ、と考えました。今は違います。これほどの文書を書いたマルコだ、きっと何か意図が、目的があったに違いない、と。単なる夕方になったという表現ではなく、日没と共に新しい一日が始まった、ということを伝えたかったに違いない、と考えるようになりました。
 俗信になりますが、明るい昼の間は、神の支配する時、暗い夜の間は闇の支配者・サタンの時間と考えられています。新しい一日もこの暗黒によって始まり、その支配者が思い通りを行なう、行なっている、と語られるのです。しかし、光の御子である主イエス・キリストは、この闇の支配する時にその力を揮い、勝利したもうお方です。

 次に40節「重い皮膚病」です。これを見て、私たちはすぐに『ライ病、治らない、不治の業病』を連想するのではないでしょうか。わざわざ『重い皮膚病』と訳されているのに古い訳語『らい病』を持ち出してしまうのです。そして『治らない業病』を付け加えるのです。皆様の方が、このことに関しては、良くご存知でしょう。
 そのような連想があるため、この病気の名を病原菌の発見者にちなんで『ハンセン病』と呼ぶようにしたのは、だいぶ前のことです。間違った知識と結び付いた古い名前は使わないようにしています。

 間違った知識とはなにか。
「治らない病気」ということです。確かに、聖書の時代には治らない病気、差別と偏見の元でした。
 この病気は、長い間その病原菌が不明でした。そのため遺伝、伝染、家系などとされてきました。近代になってノルウエーのハンセンによって、病原菌が特定され(1873年)、その研究が大幅に進歩することになりました。そして、第二次大戦中のアメリカで特効薬プロミンが生み出されました。戦後日本もその恩恵に与り、療養所に収容されていた患者たちは、この病気から解放されました。

 「業病」などではありません。病原菌は、結核菌と良く似た桿状菌です。「月のウサギ」の杵の形のため、このように呼ばれます。顕微鏡で、見せていただいたこともあります。
これは日にさらすと短時間で死滅してしまいます。菌を培養することができませんでした。
(日常生活で寝食を共にするような)濃厚接触によって始めて感染します。その上いつでも発病するわけではありません。発病は、菌保持者の体力が弱まったときに限られます。
「水虫」の方がよほど恐ろしい病気だ、と言われるほどです。

 「予防には強制隔離」という考え、政策も、たいへんな間違いです。これは実のところ、近代日本の富国強兵策が生み出したもの、と批判されます。兵となることの出来ない病者、
日本の近代化を裏切るような徴となる者たちを隔離する、ということです。早い時期から欧米では、隔離政策から転換していました。帝国政府は、それでもなおこれを維持しました。戦後も、治療が可能となり、社会復帰も可能とされたにも拘らず、政府はこれを保持、強化しました。たいへん申し訳ないことです。

 ハンセン病は、「不治の業病」などではありません。ハンセン病は多くの病気の一つです。治る病気です。どうぞ、誤った偏見を拭い去り、間違った差別をやめましょう。
1996年、患者の強制隔離を定めた「らい予防法」は廃止されました。それは偏見と差別の終わりではありません。終わりの初めに過ぎません。

 私自身、これで29年間、療養所教会との関わりを持ち続けてきました。私たち一般国民の健康を保持するために患者さんたちが犠牲になってきた、と信じるからです。それでもいまだに、療養所へ行くには、勇気を奮い起こさねばならないことがあります。自分の中のどこかに偏見、差別があるのではないか、と恐れています。

 ハンセン病について、次のことを記憶してください。(藤楓協会広報より)
遺伝病ではありません。伝染力のきわめて弱い病原菌による慢性の感染症です。
乳幼児の時の感染以外は殆んど発病の危険性はありません。
菌は治療により、数日で伝染性を失い、
   軽快した患者と接触しても感染する事はありません。
不治の病気ではなく、結核と同じように治癒する病気です。
治癒した後に残る変化は単なる後遺症に過ぎません。
早期発見と適切な治療が患者にとっても公衆衛生上からも重要です。

 昨2月6日の朝日新聞朝刊に、ハンセン病に関する記事がありました。たいへん示唆に富むものですので、ご紹介します。《心結ぶハンセン病支援》というタイトルです。
 中国 広東省潮州市郊外に嶺後(リンポウ)村がある。
「村は1960年、ハンセン病患者300人以上が集められて出来た。80年代に回復者の帰宅が許された後も、差別で行き場を失った人々が残った。・・・」。元隔離村です。
 この村で、ひとりの日本人青年が、2002年秋以来、ハンセン病患者を支援している。原田燎太郎さんは、早稲田大学の四年生の時、自分を磨く居場所を求めて此処へ来た。
 「進路が決まらず、居場所を捜していた。そんな心に村がすぽっとはまった」。 
 地元の大学に協力を求め、住宅の建設からはじめた。

 「日本人を憎んでいたが、彼らは私たちを差別せず、家まで建ててくれた。信じられないことだ。時代は変わったと思った。」このように現地の人々は言う。
この活動は広がり、今では中国南部50箇所に達する。会員は学生を中心に約2000人。中国で外国人主導のNPOが此処まで発展するのは珍しい。
記者の言葉だろうか。次の言葉で記事の最後は締めくくられた。
「人と人との関係を壊してきたハンセン病が、今度は人を結び付けた」。
この記事には署名(広州=小林哲)がありました。

 この活動のいたるところに、現代日本で言うような癒しがあります。元患者さん、日本青年、現地の学生さんや会員たち、皆が居場所を見付け、赦しを知り、心豊かに生きています。共に生きるようになりました。これこそ主イエスのいやしの本質です。

 主イエスは、この病気の人に対し何をなさったでしょうか。この病者は、跪き、
「御心ならば、私を清くすることがおできになります」と言います。
主は、「手を差し伸べてその人に触れ、よろしい、清くなれ」と言われました。
当時汚れたものに触れるなら、触れた人も汚れた者となる、と考えられ、律法にも定められました。主は、言葉だけでいやすこともできました。触れることで、大胆にもその穢れを身に負うこととされたのです。

 主イエスがなさるいやしとは、いやされる人が、本来の居場所に復帰すること、回復されることです。マルコ2章、中風の者のいやしで、主は先ず『罪の赦し』を宣告されました。罪人、穢れた者、異邦人はイスラエルの宗教共同体にはいることができませんでした。

 主イエスのいやしの奇跡は、あれ以来続いています。あの時一回限りのはずでした。しかしそのことを知った多くの人が、その弟子となり、その本質を受け継いできました。

 本日のマルコ2章は、中風の者の癒しです。彼は四人の者に担がれやってきましたが、おびただしい人が集まっていて、主イエスのおられる家に入ることができません。将に人の壁です。四人の者は、その家の屋根をはがして、この病の人を吊り降ろしました。
 イエスは、彼らの行為の中に信仰・信頼を見て取り、言われます。
「子よ、あなたの罪は赦される」と。
これは、破天荒なことです。神殿で捧げ物をして、祭司により赦しを宣されるはずでした。
ここにいた律法学者たちが、これは神を冒涜する者、と考えたのは無理もありません。
イエスにとってはそうではありません。御自身の権能をご承知です。罪を赦し、この人を共同体へ回復させる力をもっておられることを証明するために、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」といわれました。

 主イエスは、中風という病気によって壊された人間関係を回復してくださいました。
そうして人々は、神を賛美する者となりました。

 今、私たちは、病気に苦しむ人たちに、それ以上の苦しみを与えてしまってはいないでしょうか。ハンセン病者は、すでにいやされているのに、療養所以外で生活することが出来ず、あの中で息を引き取る日を待っています。多くの原因が語られるでしょう。でも私たちの偏見と差別が、大きな原因である事はいうまでもありません。

 中風の人のように挙措動作に不自由を覚える人が、それでも町に出たいと思いながら、出ることが出来ない、としたら、それは何故でしょうか。多大な勇気を必要とするからです。普通の人間が便利なように町は造られています。階段や段差を苦にしない人の町です。

 埼玉県西部東秩父村に、「車椅子の使徒」と呼ばれた男の人(渡辺吉一さん)がいました。小川教会によく立ち寄ってお茶を飲んで行きました。小さな教会の入り口に、小さな段差があります。バリアフリーを意識して建てたつもりでした。
渡辺さんは、その1センチほどの小さな段差を指差して言いました。
『先生、こんなちょっとの段差でもおれっちにはきついんだよ。
それにお茶もありがたいけど、おしっこが出たくなるから大変なんだ』。
お菓子がお気に入りでした。

 聖地旅行の団体企画があります。パックツアーです。良く調べると、元気の良い、普通の人のための旅行計画です。時間的に厳しい、上り下りが多い、たくさんの所へ行く。行動に不自由を感じる人は参加できません。普通の、常識が参加させないのです。壁になる。
私たちの常識が、差別を生み出し、助長していませんか。自分が差別される側に立って、初めて分かるようになります。誰もが不自由になります。

 いやされる主イエスは、私たちを本来の良い関係に回復されようとされます。
『人独りなるはよろしからず。相応しい助け手を作らん』
互いが助け手となり、共に生きるようにしてくださるのです。

感謝しようではありませんか。