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2006年1月15日

《共に笑うでしょう》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記21:1〜8

讃美歌56,179,298、交読文2(詩篇2)

列島の日本海側では大雪の被害が続いています。80名を超える支社の数は容易なことではありません。自動車事故と同じように個々別々に起こっていますので大事のように感じられません。もし、列車や航空機のように、1箇所でこのような事態になったらば大事故と言われるでしょう。

朝鮮半島はマイナス20度と聞きました。

アフリカでは旱魃による飢饉が広がっています。

国際化の時代は、情報共有化の時代でもあります。リアルタイムでニュースが入ってきます。それにしては、メディアは頼りないかもしれません。私たちが知りたいことよりも、彼らが知らせたいこと、差しさわりのないことに縛られているようです。

情報についても注意深くあることが必要です。

 サラに対する神の約束は、成就しました。

サラが、約束を信じることが出来ず、笑ったにも関わらずに、神は約束を成就されたのです。むしろ信じることが出来なかったからこそ、神は成就されたのかもしれません。人間の眼には不可能と見えることを、神は成就できる全能の神であることを示されたのです。

 「年老いたアブラハム」と記されますが、彼には実績があります。エジプト女ハガルによってイシュマエルを獲ています。しかし、すでに百歳となりました。長寿の時代だから、この年齢には余り意味がないのではないか、というご意見を聴くことがあります。そうであるなら何故この数字を注意深く記すのでしょうか。

17:17「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子どもが生まれるだろうか。九十歳のサラに子どもが産めるだろうか。』」。

18:12「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。」

いつの時代でも、経験から生まれる知恵が私たちを教えてくれます。それらは時代を超えた常識となって、私たちの生活をも動かします。しかしそれだけではありません。

人間の常識が教え、導くことがあります。しかし、その通りにならないこともあります。それらを越えて実現することがあります。経験則に適っていないものは存在しない、と主張されることもあります。しかし現実に存在し、我々を喜ばせたり、悲しませたりするのです。分からないこと、不思議なことがあることは確かです。常識や理屈では測れないこと、理解できないことがあります。

牧師館の庭に二株のバラが生きています。昨年少々異常を見せました。それまで暑い時期に咲いていたと思いますが、東の株は十月半ばに蕾をつけ、そのまま咲いて散りました。

西側の一株は、遅れて11月半ばに蕾をつけました。膨らんで、いつ咲くのかなと期待させながら、咲きません。二本の蕾は、今にも開きそうに色づきながらとうとう歳を越してしまいました。12月の氷点下に下がった寒い日々も、正月もそのままでした。こんなに色づいているのに、と思わせながらようやくその1本が開きそうになったのは、10日過ぎの事です。四季咲きのバラがあることは知っています。こんなにも長く蕾のままでいる。個体差でしょうか。狂い咲きでしょうか。園芸家ではない私には本当に不思議な事です。

もしバラのことを良く知っていたなら、何も不思議に思わないのでしょう。

 サラにとってこの歳で身ごもるということは、常識外であり、理屈に合わず、経験もそれに反対します。しかし現実は、そのような人の思い、考えと関わりなく進みます。そのときのサラの思いを考えて見ました。私にとって、このようなことが起きたらば、最初は恐怖に似た思いに満たされそうです。

自分の中で、未経験の何かが起こっている、これは恐ろしいことなのです。

 これまでのサラの歩みは、辛く、悲しいものでした。笑うことなど出来ないような歩みでした。家の中で笑いがあれば、それは子を生すことのないサラを侮蔑する笑いのように受け取られました。

受け入れることの難しい神の約束を聞いて、半信半疑だったサラ、彼女は神をあざ笑うことしか出来なかったのです。しかしその後、彼女の身の上に起こったことは、次第にサラの考えを変えました。理屈と経験ではなく、身の上に起こりつつある現実を神の出来事として受け入れる方向へ変えられたのです。

サラにとって、この期間は、恐怖と戦きで始まり、次第に神への讃美と畏敬と感謝に包まれる状態へと変化する日々であったと考えられます。そしてトツキトウカ経って、神が約束なさった時に男の子が生まれました。

 このときのサラは実に素直になって、なんらの不安も恐れも見せません。本当に幸せそうに、神の命じられたままにこの子にイサクと名付けています。嬉しそうに感じられます。

「サラは言った。

『神はわたしに笑いをお与えになった。

聞くものは皆、私と笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう』。」

イサクが与えられたこと、それは笑いをもたらす出来事でした。イサクを一家が共有すること、それは周囲の民とも共有することであり、分かち合うことでした。

この笑いは、疑いの黒雲を突き抜けた高みにいつも輝いている、何処までも広がる青空のような光をもたらしました。

笑いという意味のイサクと名付けることは、もちろん神の命じられた事ですが、同時にこの夫婦が神を讃美する行為でもありました。喜びを共有することなのです。

この所を、口語訳はこのように訳しました。

「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。

どのような笑いか判りません。新しい訳のほうがはっきりします。岩波版はこうです。

「神は私に笑いを下さった。〔これを〕聞いた者は誰でも私に笑いかけましょう」。

喜びの笑いを共有する、分かち合うでしょう、ということが良く判ります。

 これを読んでいると、アブラハムとサラの夫婦が心の底から喜んでいる姿が目に浮かびます。腹の底から笑っているのです。笑うという行為は、腹の中に溜まり、積み重なっていた悪いものを吹き払うような不思議な効果があります。神に対し、人々に対しある種のわだかまりがあった事でしょう。自分たちだけ子どもがいなかったのです。

 今でも同じだと思います。自分にないものを数え上げて不平を漏らす。同じ時、自分に与えられている恵みには触れようとしない。これは公正な態度ではありません。また他の人に与えられていないもの、これも私たちは注意深く見ていくべきでしょう。神は長い目で見ておられます。最終的には計算が合うようにされるのです。イサク・笑いという名は、神への不信仰を思い出させる名であり、それを越える神の恵みを示す名に違いありません。

 ここでもう一つのことに注意を向けていただきましょう。割礼です。

17:10以下に割礼の契約が記されます。ヤハウェが主となり、イスラエルはその民となるという契約のしるしとして割礼が施されます。古代イスラエル人は体に印をつけて、神との契約締結を認めました。もしそのままであるなら、ユダヤ人だけの民族宗教で終わったでしょう。

 預言者エレミヤは、4:4で語りました。

「あなた方は自ら割礼を行って、主に属するものとなり、自分の心の前の皮を取り去れ」。

体を傷つける割礼ではなく、心の割礼への道を開いた言葉です。

パウロは、ロマ書4章で、彼の割礼論を展開します。大切なことは、割礼を受けたからアブラハムの信仰は義とされたのか、という点です。アブラハムは割礼を受ける前にその信仰を義と認められた、とパウロは語ります。その証としての割礼です。

バプテスマのヨハネは、パリサイ人やサドカイ人に向かって、「神は、この石ころからでもアブラハムの子を起こすことが出来る」(マタイ3:9)と語りました。

不信仰な私たちも今、血筋や、行いによることなく、御子イエスの血による贖いを通して、新しいイスラエルとされていることを感謝しましょう。
欄外

関係ないように考えやすいけれど、旧約聖書の人名は、私たちの周囲にごろごろしている。

アブラハムはリンカーン大統領。彼はエイブと呼ばれたようです。息子はイサク。これはイツハーク、アイザック、となります。日本でも、一作や伊作、意佐久などの名で知られます。

私の友人はお嬢さんの名を「彩愛」でサラと読ませています。

ヤコブはジェームス、マタイはマシュー、ヨハネはジョン、ヨセフはジョゼフ、

その他たくさん。

笑いには、いろいろな形・種類があります。発生する機会、環境、辞譲による違いがあります。難しく言う必要もありません。

嬉しい時の笑い。おかしさを笑う噴出し笑い、豪快です。忍び笑い、ほくそえみ、ちょっと気味が悪い時もあります。嘲笑、侮蔑的な笑い、気分を害することを狙っています。

自分で自分を笑い、負けないぞーッと頑張る笑い。負け組みの自分が可愛そうで、ソット励まそうとする笑い。そんな自分を諦めてしまったときの自嘲的な笑い。悲しい時にも笑います。泣き笑い、これは嬉し泣きの一種にもあります。自嘲自笑。

せせら笑いもあります。相手を見下したものです。ほくそえむ、というのもあります。これも人前ではしないほうが良いでしょう。とりわけ一国の宰相が、この笑いを見せたら、その品性人格が疑われます。

割礼、ヘロドトスはこれをエジプト起源と考えた。

考古学資料によれば、すでに前3千年紀のシリア兵士が割礼を施されていた。割礼の元来の意味は災厄払い、多産祈願、成人儀式など様々に論じられてきた。古代イスラエル人はこれを契約のしるしとして受容した。