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2009年4月19日

《復活顕現》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ28:11〜15

復活節第二主日、讃美歌2,151,152、交読文38(イザヤ書40篇)
聖書日課 イザヤ65:17〜25、使徒13:26〜31、マタイ28:11〜15、詩編16:5〜11、

     
よく知られる花にまつわる歌三首

  ねがわくは花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ(西行)
久方のひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらん(紀友則)
世のなかにたえて桜のなかりせば 春のこころは しずかならまし

先週は復活主日、受洗者を迎えることが出来、嬉しい時でした。
高石の霊園の桜も満開、お天気もよく、墓前礼拝、納骨式が出来ました。
一週間が経って、レントの御苦しみを偲ぶ心から、主イエスの甦りを喜ぶ心へと展開されたでしょうか。

私たちは、当然のように日曜日を礼拝の日としています。これはキリスト教の世界に通用するだけのことです。イスラムは金曜日、ユダヤ教は土曜日が安息日、礼拝の日です。
昔の日本、明治維新による近代化・西欧化以前の日本はどうだったのでしょうか。
週休制はなかったようです。現代の結婚式場は、陰暦に基づいて六日毎の休みがあるようです。火葬場も同じです。
西欧とお付き合いする上では、同じ休日であることは都合が良いでしょう。そうした国々が増えるにしたがって、日曜日はキリストの甦りを覚える讃美の日、という意味が忘れられて行きます。

英国の東側にダーラムと言う町があります。スコットランドとの境界の町です。この北側をハドリアヌスウォールが西に向かって走ります。英国版 万里の長城です。古い教会と大学で知られます。日産の工場が誘致されました。この町では、サンデイ・ランチという言葉が生きているそうです。日曜は料理もしない、前日 用意しておいたものを食べる。
礼拝に客人が来ていれば家庭に招待してお昼を一緒にする。そうしないと、お店は開いていないから大変です。サンデイ・ランチは日曜の本当の意味を持ち続けよう、とすることのようです。一緒に喜びましょう、感謝しましょう、ということです。

最初のクリスマス、という表現があります。今私たちが触れているのは、最初のイースターです。クリスマスには、宿屋、羊飼いたちと羊、博士たちと黄金、乳香、もつ薬、そしてヘロデの兵士達が登場します。イースターには、女たち、ペトロとヨハネをはじめとする十一人の弟子たち、そしてここでも兵士達が登場します。

十字架から取り降ろされた主イエスは、アリマタヤのヨセフの墓に葬られました。
安息日が始まるので、油塗りなど、そのころ必要とされていた儀礼を行なう時間がありませんでした。出来なかったことは、安息日明けに行なわれることになりました。
それが、「週の初めの日の朝早く」、という出来事です。

その間に「祭司長たちやファリサイ派の人々」は怪しげな謀議を実行します。27:62〜66に記されています。彼らは総督ポンテオ・フィラトゥスを尋ね、願います。

「あの男が、自分は三日後に復活すると、言っていたことを思い出しました。ついては、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうしないと弟子たちが死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません」。

この時代、ユダヤには三種の兵士がいたと考えられます。ひとつは、ヘロデの兵士。次にローマの軍団兵、そして神殿警護の兵士。これは治安活動の警察的な感じがありますが、一応兵士とされていました。したがって、祭司長、ファリサイ派の人たちは、先ずヘロデの兵士、または神殿直属の兵士を使うことを考えるはずです。しかし、イエスの処刑に関し、この男はローマに対する反逆を企てた者である、と言い立て認めさせました。この男に関する責任はすべてローマ総督にある、としたかったのでしょう。墓の番兵も出してくれ、と願い出たわけです。

総督ピラトは、自分の考えとは違う死刑宣告をさせられてしまった、と感じていますから、これ以上関わろうとはしません。「あなたたちには番兵がいるはずだ」と言って、要求を突っぱねます。そこで仕方なく、墓の石に封印して、番兵を置きました。
墓があったとされる所に、今では聖墳墓教会が建てられています。当時は城壁の外であったものが、今ではだいぶ様子が変わっているようです。ローマ軍との戦いに敗れ、壊滅しました。その後、十字軍の頃には再建されていたようですが、以前とは変わっていたようです。
現在の姿は、パソコンを使用される方なら、グーグルアースで見ることが出来そうです。

 そして28章「週の初めの日の朝早く」、になります。二人のマリアが墓に来ました。
すると、大きな地震、主の天使が降って来て墓の石を脇に転がし、その上に座ります。
「番兵たちは、恐ろしさの余り震え上がり、死人のようになった」。彼らは、天使と婦人たちとのやり取りを見たのでしょうか。逃げ出した、と考えたほうが良いようです。
マリアたちより先に都に帰りついた、とあります。エルサレム城外の墓地です。

 城内に入るには、限られた城門を利用します。婦人達より先に帰ってきた兵士たちは、祭司長たちに報告します。一体どの様に知らせたでしょうか。自分たちには何の失態もないことを強調したことでしょう。それを聞いた祭司長たちも、自分たちの失態でない様に、しなければなりませんでした。その結果が12・13節です。長老たちと相談の上で、兵士たちに多額の金を与えて、次のように言わせます。
「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」。
地獄の沙汰も金次第、と言われます。時代と国境を越えているようです。

 不寝番をするはずの者が寝ていたとなれば、当然責任問題です。
また、寝ていたのなら誰が盗んだか、見ている筈がありません。

この二つをクリアーし、偽証させるためには、かなり多額の金が必要だったでしょう。
金の力は凄いものです。
私などはそのことがよく解ってはいないでしょう。
私の両親は、経済の話を私には決してしませんでした。俺は経済学部卒、といえば不経済学部でしょう、と言って笑われたものです。

更に祭司長たちは言いました。総督に聞こえても我々が説得して、お前たちの責任が問われないようにしよう、安心しろ、と。権力ある者が、背後に付き添ってくれる、これほど頼もしいことはありません。自分も権力者の仲間になったようなものです。
事実を曲げて、ありもしないことをさもあったかのように報告する、後ろめたいことです。
子供のときからの教育にも反することです。何処の国でも、民族でも、嘘をついてはいけませんと教えます。神様は見ておられます、と諭します。

権力が後ろ盾になり、多額の金をもらうことができるなら、正しいことも事実も曲げられてしまうのです。

本日の聖書日課に、この番兵たちの出来事が指定されているのは、彼らにも復活の主は顕現された、ということを指摘しているのではないでしょうか。

大伝道者パウロは、コリントの信徒へあてた手紙の中で、復活の主が誰に現れたか、書き綴っています。?コリント15:4〜8、320ページです。

そこでは、ケファ(シモン・ペトロ)、十二人、500人以上もの兄弟たち、ヤコブ、全ての使徒たち、そして最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れました、と書きます。
ここでは女性は無視されているのでしょうか。記されていません。

福音書記者は、女性たちにも顕現があった、というよりもむしろ、女性たちこそ最初の顕現の証人とされたことを告げています。
女性の社会的地位が低い時代に、福音書記者は大胆に、顕現は女性から始まった、と伝えました。そうして幾世紀もかけて男女の平等が認められてきました。

そして同じように、主の復活顕現は信仰者だけに与えられたのではないことが示されます。女たちは、復活の証人となりました。
番兵たちは、復活がなかったことを伝えて生きることになります。今に至るまで、ユダヤ人の間では、イエスの遺体は盗まれた、と伝えられている、というのです。

私たち信仰を抱く者は、あの空虚な墓を、イエスの復活のしるしと見ます。然し同じ墓を見ても、番兵たちや、その報告を聞いた祭司長たち、ファリサイ人たちは、復活とは認めません。金のやり取りで、そのことがなかった、と言い張るのです。自分たちが持っていると思っている権威・権力を守るために見ても見ず、聞いても聞かず、事実を曲げようとします。人間は自分が見たいと思うもの、見るはずだと思うものを見出し、現に見えているものを無視することが出来ます。

女たち、番兵たちに与えられた復活顕現です。女たちは、そこから男と同じ地位の獲得に動きました。番兵たちは、事実を否定する偽りの歩みを続けました。どちらの人生に価値があるでしょうか。

イタリアの作曲家にレスピーギという人があります。20世紀初頭の人、ロシアのリムスキー・コルサコフの弟子、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の院長。「リュートのための古代舞曲とアリア、第三番」は典雅で古風な音楽で、私の好みの一曲です。特に有名な作品があります。ローマ三部作と呼ばれるもので、《ローマの泉、ローマの松、ローマの祭り》の三曲です。管弦楽の魔術師と呼ばれることもあるほど華麗なオーケストレーションです。イタリアの古い音楽も取り入れ、重厚・華麗な響きに編曲しました。『ローマの祭り』第二曲の旋律は讃美歌152番です。作曲家チャールス・ローパーについてはアメリカ人ということだけで、他には何も判りません。レスピーギは、昔の人たちが、主の復活を祝していた様子を描いたものでしょう。想像していただければ幸いです。

主イエスの復活を告げる鐘が高らかに鳴り響き、人々が喜びの歌を讃美しても、共に喜ぶことが出来ない人たちはいます。

 人間のいかなる企みも、主イエスを甦らせる神の力を抑止することは出来ません。

権力ある者たちの発揮するどのような力も、神の深い恵みから私たちを引き離すことは出来ません。 私たちは、復活の主を讃美しつつ歩みましょう。