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2009年2月1日

《私の家は祈りの家》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ21:12〜16

降誕節第六主日、讃美歌23,317,192、交読文19(詩119篇)
聖書日課 イザヤ8:23b〜9:3、マタイ21:12〜16、  ローマ1:8〜17、詩編44:2〜9、


スイセンの花が咲き、メジロが鳴くようになると、冬の最中でも、どこか春の訪れを感じます。陽射しも明るくなり、長くなりました。大阪でも春を待つ気持ちになります。北陸、越後、信州、東北、奥羽、北海道ではいかほどか待ち遠しいことであろう、と思います。また心ならずも病床にある人々は、春と元気回復を重ね合わせて、待ち焦がれておられることでしょう。

パウロはその手紙の中で、他の人々のために祈りました(コロサイ1:3、?テサロニケ1:11)。そして、自分のためにも祈って欲しい、と書きました(コロサイ4:4、?テサロニケ5:25、?テサロニケ3:1)。私たちも自分のことを願い祈ります。同時に他の人々のために祈ろうではありませんか。

さて今朝の主題は、《私の家は祈りの家》ですが、本来は《新しい神殿》となっています。それをマタイが伝える主イエスの言葉に入れ替えました。どのような時、どのような状況で、何を目指して語られたものでしょうか。ご一緒に読んで参りましょう。
聖書の箇所は、21:12〜16、段落としては17節までですが、16節までになっています。

この所は、21:1〜11で、主イエスが最後にエルサレムへ入城された記事に続いています。ロバに乗って、人々の「ホサンナ」という歓呼に迎えられて、入城しました。これは普通ですと、四旬節、特に棕櫚の主日に読まれるものです。
そして入城した主が、神殿に入り、最初になさったことが「宮清め」と呼ばれることです。

人々は「お前の王・・・柔和な方で、・・・子ロバに乗って・・・おいでになる」と預言されたのは、この方であると信じ、「ダビデの子ホサナ」と叫び、主を喜び迎えました。
この柔和な主イエスが、エルサレムに入って最初になさったことが、神殿境内で売り買いしていた人々への乱暴でした。

神殿は、ヘロデ大王が改築した壮麗な建造物です。ソロモンが建造した(紀元前945年ごろ)最初の神殿は、バビロニア軍の手によって破壊されました(前587年)。ユダの民のうち、指導的な立場の人々はバビロンへ捕らえ移されました。およそ50年後、バビロン捕囚から帰って来た人々によって建てられたものが第二神殿です(前516年)。ペルシャ王キュロスの命令によっています。
紀元前4世紀マケドニアのアレキサンダー大王は、少数の軍勢を率いて遠征に出発します。征服した国の軍勢を組み入れてその軍隊は巨大化しました。エジプト。ペルシャ、インドの西端に達しました。前323年、大王の突然の死によって(33歳)、その帝国は部下の将軍たちによって、分割統治されることになりました。
およそ20年間の抗争があり、300年ごろまでにおおよその分割が定まります。マケドニアはアンティゴノス、アジアからバビロニアはセレウコス、エジプトはプトレマイオス。後に東の方バクトリアはティオドトスが王となり支配するようになります。

この時代、かつてのイスラエル、ユダヤの地は、シリアのセレウコスとエジプトのプトレマイオスの間で争奪戦が交わされました。
紀元前200年頃、アンティオコス4世エピファネスは、野心と才知に富み、軍事と政治の力量を発揮して、パレスティナの支配権を手中に収めます。
その時代のエルサレムに関して、次のような記述があります。

「前169年アンティオコスのエジプト遠征のあと、ヤソン(前大祭司)はエルサレムに戻り、メネラオス(当時の大祭司)の手下の何人かを殺した。そこで王は、暴動を鎮圧するためエルサレムに軍を入れ、8万人を虐殺した。王は続いてメネラオスを職に戻し、神殿を略奪し、神聖な祭具を押収、1800タラントを持ち去った。それから間もなく、王は『ユダヤ人を無理やりに父祖伝来の律法から引き離し、神の律法に沿った生き方を禁ずる』(マカバイ記?、6:1)よう指示を出した。」

このエピファネスによって、神殿が汚され、その時以来、神殿の浄化はエルサレムの悲願となりました。マカバイ記?6:4参照。
このような圧制に対して抵抗したのがハスモン家の祭司マタティアでした。その反乱を書いたのがマカベヤ記です。その?は前175〜135年にわたる40年間を含みます。ハスモン王朝の宮廷が公式の歴史として書いたものと見られます。その立場は、厳正な正統的ユダヤ主義のもので、ハスモン朝の宗教的、国家的精神を表現しています。
その?は、反乱についての長い歴史を要約したものです(マカバイ記?2:19)。その記者とされるキレネ人ヤソンについては何も知られません。

エルサレム神殿は、再びイスラエルのものとなりました。そしてヘロデによって拡張され、その輝きを増したように見えます。主イエスの時代、まだ工事は続いていました。
完成は紀元63年ごろです。そして70年、ユダヤ戦争のため、ローマ軍によって完膚なきまでに破壊されてしまいます。「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と主イエスが言われた通りになりました(マルコ13:1〜2)。

ヘロデは、自分の野心のために神殿を利用しました。祈りの家を自己主張の砦としました。イドマヤ人なのにユダヤ人であることを主張するために、簒奪者なのに正当な王位継承者であることを主張しました。自分が有能な、財力に富んだ者であることを証明しようとしました。殺人者であることを隠し平和主義者であるかのように見せかけました。
欲望のままに神殿を利用しました。

 かつて、出エジプトの民は幕屋、即ち携帯式の礼拝所をもって移動しました。足をとどめると、そこに幕屋を建て上げて礼拝しました。
聖なる幕屋、後のエルサレム神殿は神の臨在の目に見える象徴でした。
幕屋そして神殿は、イスラエル・ユダヤ人の礼拝生活と神聖な捧げ物の中心です。そのところで礼拝し、いけにえを捧げ、神を讃美しました。

さてこの神殿の異なった側面に目を向けてみましょう。エルサレムの城壁の内側に神殿の領域があります。回廊で仕切られています。それを門から入ると『異邦人の中庭』です。其処から一段と高く仕切られたところがあり、いわゆる神殿正面の外になります。ここが『女の中庭』、ここから西へニカノール門を通って『イスラエルの庭』となります。たくさんの仕切りの壁があります。これはそれぞれ異邦人、女性をそれ以上進ませないようにしています。異邦人と女性は不浄であり、その度合いが違うので、異なったところで留める、ということです。すべての人の神様ではないのですか、という質問が聞こえそうです。

あらゆる宗教の中に、差別を肯定する傾向があります。宗教が権威を重んじ、権力を構成しようとするからでしょう。大きな差別構造は、その中に更に小さな差別を生み出します。重層構造と呼べるでしょう。差別の中に差別がある。恐ろしいことです。
また自分は、差別はしない、と言っていても差別をしていることがよくあります。
神殿の構造からこうした恐ろしい差別を見出さざるを得ないのは嫌なことです。
自分自身の中にある差別と向き合うのはもっと辛いことです。

ここで本日の聖書に目を向けましょう。
主イエスは、神殿の中庭で売り買いしている者たち全員を追い出します。行動として見れば、ずいぶん乱暴なことです。彼らは権威筋から許可されて、当然の権利として商売しているはずです。主イエスにはそれを上回る権威があるのでしょうか。許可を取り消す権力があるのでしょうか。世俗的には、何もないでしょう。然し神殿は宗教施設ですから、ユダヤ宗教の正典に基づいて批判することが出来ます。

主は、旧約聖書、イザヤ書56:7に基づいて彼らを非難しました。
「私の家は祈りの家と呼ばれるべきである」。どういうことでしょうか?
神殿境内で商売していた人たちは、生贄として捧げる家畜を売る者、神殿税を納める硬貨を両替する者たちです。家畜は、傷なく、しみもないことが要求されました。捧げ物を調べる担当は、神殿境内の商人から購入するように仕向けます。
神殿税は、聖なるシケルと呼ばれる硬貨を用いることに決められていました。日常の経済生活で使うことはありません。これも法外な手数料を払って商人に両替してもらいます。
そしてこれらの商人は、神殿の祭司、レビ人と手を結んでいました。
神殿を利用して利益をむさぼり、それを分け合っていました。
暴利をむさぼる機構を作り上げ、搾取することを少しも恥じていませんでした。

主イエスは、聖書に従って、『私の家は祈りの家』と言われました。
ルカ福音書に従えば、嬰児イエスは、ベツレヘムからエルサレムに連れてこられ、神殿で、主に捧げられています。ルカ2:22以下
「両親はその子を主に捧げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」
更に12歳の時の、宮詣の記事があります。2:41以下参照
「イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。私が父の家にいるのは当たり前だと言うことを、知らなかったのですか。』しかし、両親にはイエスの言葉の意味が判らなかった。」

主イエスが言われる『私の家』は、父の家、神殿です。決して暴利をむさぼり、搾取する仕組みではありません。それは拒絶されます。
ここでの主の言葉は、第一には、父の家である教会を祈りの家としなさい、となります。
第二に、祈りの家こそ父の家、教会とされる、ということです。
よく教会は建物ではありません、と言われる事の、一つの根拠です。
私たちが祈るところ、其処は何処であっても、何があろうとなかろうと、祈りがあるなら、其処はイエスを主と仰ぐ者たちの家となります。

祈りとは神との対話です。おしゃべりとは違います。いわゆる会話でもありません。
対話は変化と成長を促します。真剣な祈りは自分自身が変わることを発見します。
マルティン・ルーサー・キング牧師の歩みを読んでいました。彼は最初から、あの感動的な説教をしたわけではありません。自他の祈りによって変えられたのです。成長しました。
説教の原稿を用意します。語り始め、聴衆から力を受けます。原稿にはない、力に溢れた言葉がほとばしります。説教は神の力と会衆の祈りに支えられて出来上がります。

ここも祈りの家です。感謝しましょう。