降誕前第2・待降節第三主日、讃美歌22,94,239、交読文27(詩118篇)
聖書日課 士師記13:2〜14、フィリピ4:4〜9、詩編113:1〜9、
本日の主題と福音書は、教団の聖書日課に基づくものです。
(本年はD年のはずですが、聖書はA年になっています。断り書きはありませんが、恐らくアドベントから、教会暦の新年度ですから,A年に入ったのでしょう。実は降誕前第九主日から、聖書日課は新年度になっています。これで良いのでしょうか。)
旧約の日課は、士師記13:2〜14です。16章末に至る有名な豪力サムソン物語の初めになります。その前提は、バベルの塔や、箱舟物語同様にイスラエルがはなはだしい罪に陥ったことです。その結果、イスラエルはペリシテ人の手に渡されました。地中海沿岸の平野部に居住するペリシテ人は、イスラエルにとって宿敵でした。山間の盆地などに押し込められたようなイスラエル人は、何とか平野部へ、沿岸部に出て行こうとしたようです。その試みはことごとく打ち破られ、逆にペリシテ人が侵入してきました。彼らの神はダゴンと呼ばれます。これはバルの父で穀物の神でした。アシュトドとガザに神殿がありました。古代人の考えによれば、神と神が戦い、強い神が、その民に勝利を得させます。
ここにマノアという男がいました。その妻は子を産んだことがありませんでした。主のみ使いが彼女に現れ、告げられました。「身を清く保ちなさい。男の子を産むでしょう。ナジル人として神に捧げられます。彼は、イスラエルを解き放つ救いの先駆者となるでしょう」。この後もいろいろありますが、男の子が生まれ、無事成長します。
サムソンという名は、「太陽」に関係するといわれます。
特別な人物に読者の注意を向けさせるために、奇跡的な誕生について語るというのが聖書の物語の典型。名をつけるのは普通、母親(創世16:11、35:18、サム上1:20)。
彼は20年間、士師としてイスラエルを裁いた、と記されています(15:20、16:31)。その中身は語られることなく、知られていません。ペリシテ人との間に起こったことが幾つか語られます。大変な力持ちであったこと、感情豊かな男であったこと、女性を愛したこと、必ずしもイスラエルの掟に忠実でなかったことが知られます。ペリシテの女と結婚し、デリラという女性を愛して、サムソンの力の秘密を知られてしまい、捕らえられることになった事などが分かります。
「イスラエルを解き放つ救いの先駆者となるだろう」、と預言されました。これは実現されたのでしょうか。民族の解放が実現したか、ということであれば、残念でした、と言わなければなりません。小さな出来事はあり、勝利もありました。
ペリシテの王たちの死や、神殿の崩壊もありました。しかし、それはイスラエルの解放ではありませんでした。
この所をよく読むと、「先駆者となるだろう」という預言です。サムソンは救う者となるのではありません。あくまでも「先駆」する者、先触れする者です。サムソンはどのような「先駆者になった」のでしょうか。
18:1には、このようにあります。「そのころ、イスラエルには王がいなかった」。
また19:1にも同じようなことが記されています。「イスラエルに王がいなかったそのころ」と。
サムソンは、イスラエルの王として統治することはありませんでした。彼の生と死は、イスラエルに王がいない、という事実を明確にしました。王は、イスラエルでは、士師の時代が終わる時に現れます。王もメシアも神に油注がれる者です。
サムソンは、自分で民を救うのではありません。油注がれるメシア・王が、やがて到来する、という先触れをする者です。その実現はダビデの出現を待たねばなりません。その意味ではダビデ王の末に生まれる、嬰児イエスの到来を指してもいるのです。
救い主イエスの到来を予告する先駆者としてよく知られているのは、洗礼者ヨハネです。
本日のマタイ福音書11:2以下は、このヨハネについてのイエスの言説です。
ヨハネは牢獄に入れられています。
ヘロデ大王の息子の一人であるヘロデ・アンティパスは、大王が前4年に死んだ後、その王国の四分の一を統治しました。それはガリラヤとベレヤです。属領主、分封主が正式の名称ですが、人々は王と呼ぶこともありました。
ヘロディアは大王の孫娘ですが、叔父であるヘロデ大王の息子フィリポと結婚しました。アンティパスは、ローマのフィリポの家を訪ねたとき、フィリポを捨てて自分と再婚するように彼女を説得し、結婚してしまった。律法は、兄弟が生存中にその妻と再婚することを認めていません。ヨハネは、この結婚は間違っている、と民の前で語りました。アンティパスは怒り、彼を捕らえ投獄します。妻となったヘロディアの歓心を買うためもあったようです。
さてこのヨハネは、祭司ザカリヤと妻エリサベトが老齢になってから生まれた息子です。
ルカ福音書1:36はこのエリサベトはマリアの親戚であった、と語ります。多くの人は半年の間を置いて生まれてくるこの二人を従兄弟同士、と考えます。芸術家たちは、幼少期の二人が仲良く遊ぶ姿を描いています。
ヨハネは、死海の西北クムランにあったエッセネ派の宗団に入って成長したようです。やがて時満ちて、荒野に出て教えを語ります。当時の混乱した社会の状況を独特な形に分析し、古の預言者のように、罪を悔い改め、神に立ち帰るように勧めます。多くの人々が各地から出てきて、教えに耳を傾け、受け入れてバプテスマを受けました。
成長したイエスも、ヨルダン川の畔でヨハネのバプテスマを受けます。マタイ・ルカの3章、マルコの1章に記されています。マタイ福音書3章をご覧いただきましょうか。
ヨハネの服装が記されています。サバイバルゲームのような様子です。食べる物も、栄養価は高く、美味ですが、決して通常のものではないでしょう。11節後半が大事です。
「私の後から来る方は、私よりも優れておられる。私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」。
3:13以下がイエスの受洗記事です。群衆の一人のようにヨハネの前に進みます。気付いたヨハネは、これを思いとどまらせようとします。
「私こそあなたからバプテスマを受けるべきです」とヨハネは言います。
「正しいことをすべて行なうのは、我々にふさわしいことです」。と主は言われ、ヨハネからバプテスマをお受けになられました。
11節と同じことが、マルコ福音書1:8では次のように語られています。
「私より優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物の紐を解く値打ちもない。その方は聖霊で洗礼をお授けになる」。
ルカ福音書は、マタイに近い内容です。マルコ福音書が初めに書かれ、それを用いながら、マタイ、ルカが書かれたのだろう、と大方の学者が認めています。
教会は、最初の時代から、ヨハネを先駆者として認めていました。それは主イエスが、ヨハネをそのように認めていたからです。
マタイ11章を見ましょう。ここでは獄中のヨハネが、弟子を派遣して、イエスに質問します。彼は自分がこの方の先駆者である、と知っていたはずです。しかし、ヨハネの思いをはるかに超えたことが起こっています。ヨハネは、不安になったのかもしれません。
それ以上に、自分の死の時が近いことを予感し、その弟子たちの今後を心配し、イエスと出会わせよう、イエスにゆだねよう、と考えたのではないか、と感じています。
そのようなヨハネのさまざまな思いを受けて、主は答えられます。
先ずヨハネの弟子たちに対しては、あなたがたの見たまま、聴いたままをヨハネに告げなさい、と。これまでの主イエスの語ったこと、教えたこと、なさったすべての奇跡は、この方こそ救い主であることを指し示しています。
それでもこれは隠された秘密、ミステーリオンであることには変わりありません。
人々は、これを見、これを聞いても信じること、知ることが出来ず、躓くのです。躓かない者は幸いなのです。
次いで群衆に対して、ヨハネのことを語られます。あなたがたは、今、預言者以上の者を見ている、と語られます。そしてイスラエルの中で最大の預言者と認められているエリヤを引き合いに出します。「実は、彼は現れるはずのエリヤである」と。
このところは、スタディバイブルを見ましょう。
14節「エリヤ」、エリヤはイエスが誕生する800年以上も前のイスラエルの預言者。後の預言者の中には、神の裁きを人々に警告するために神がエリヤをこの地上に再び遣わすと期待したものもいた(マラキ3:1〜4、3:23,24)。イエスの時代には、洗礼者ヨハネをエリヤだと思う者もいた(マタイ17:10〜13、マルコ9:11〜13)。「彼は現れるはずのエリヤである」とイエスが言ったのは、洗礼者ヨハネが神の力と大切な教えを授かったエリヤのような人であることを意味した。
主はこのように語り、ヨハネが、救い主の到来を先触れしていると語っています。
ローマ時代、王侯や高位高官のためには、先駆警士を付ける定めがありました。だれそれがお通りになります、と呼ばわって先触れし、道筋を整える役割です。ヨハネは、このような先駆者です。
面白い、と感じ、おかしいなあ、とも感じることがあります。ここではヨハネとイエスが親戚関係であることに触れていない、何にも書かれていないことです。現代のジャーナリスと、歴史家、レポーターであれば、きっとこの情報は見逃さないはずです。福音書が書かれ、編集された時代も、すでに記録を書き、知らせることは重んじられていました。ルカ福音書1章で、二人が親戚である、と書かれました。その同じ福音書でも、この関係は言及されていません。
この関係は、マリアが御告げを確信するためには有効であり、その故に語られました。
しかしバプテスマに関しては、御国の民となることに関しては、血筋、家柄など、一切の関係は意味を持ちません。勿論財産や学歴、能力、業績も無関係です。ただ神に従う心のあるなしだけが大切なのです。キリストの教会は、このことを伝統として2000年にわたり、大切に受け継いできました。
もう一つのことがあります。ヨハネは自分に従い、学んできた者たちを、イエスのもとに行かせました。自分が貴ばれ、先生になることよりも、イエスこそ主であると崇めるものです。主イエスに従う者、仕える者に成ることを大事にしました。「仕える」は英語でサービス。奉仕とか礼拝と訳されます。この意味で仕える者は、弟子となります。ディサイプル教会は、まさにこのような『弟子の教会』です。
士師サムソンによって先触れされ、ヨハネによって先駆された救い主イエスは、ベツレヘムでお生まれになります。そして、この混乱し、秩序を失った世界の只中にお生まれになるのです。私たちも、この主イエスの先触れをする時、イエスの弟子となります。弟子教会を形成することが出来ます。
感謝しましょう。