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2007年5月20日

《キリストの昇天》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ福音書28:16〜20、

復活節第7、昇天後主日讃美歌73,298,351、交読文20(詩90篇)
聖書日課  エゼキエル43:1〜7a、使徒言行録1:12〜26、詩編105:12〜24、

十日ほど前頃だったでしょうか、庭に白い花が落ちていました。二種類です。ひとつは玄関前のニセアカシヤの花。もうひとつは、中へ入った南のみかんの花でした。久し振りに花をつけました。心配していたけど、力が回復したのかもしれません。もう全て散ってしまいました。西北の一角だけです。まだ完全ではありません。全体に花がつくように回復してもらいたい、と願っています。

キリスト・イエスが天に昇られた。これは一体どのような意味を持つのでしょうか。

これまでの信仰生活の中で、キリスト昇天の説教は、記憶にありません。私自身説教した記憶もないと言うことです。多くの先生方の説教でも記憶がありません。難しいからでしょう。昇天の意味内容、その語り方、ともに難しい。

その所為でしょうか、本日の聖書日課も、その関連性がわかり難いようです。

先ず福音書は、宣教命令を示します。そして言行録は、その命令を実行するために十二人の補充をします。そして旧約は、昇ってゆかれる天がどのような所であるのかを示そうとするようです。

 三箇所を読んで、おかしなことに気付きました。昇天の記事そのものが本日の日課にはありません。昇天日は5月17日(木)でした。その日の日課はマルコ16:14〜20です。そのためでしょうか。本日の日課には昇天の記事はなく、主題だけが「キリスト昇天」となっています。主題に従っていますので、マルコの昇天記事も読みましょう。

16:18までは、主イエスの宣教命令です。マタイ福音書と少し異なるところがありますが、基本的には宣教命令として括ることが出来ます。そして19・20節が昇天の記事、さらに弟子たちが宣教に出て行ったことの報告となります。

 この中で面白いことがあります。マルコは「すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」とします。マタイの宣教命令は、「行って、全ての民を私の弟子にしなさい」とします。この違いに意味があるでしょうか。マルコは、ユダヤ人を含む全国の民を考えました。

 今朝の日課はマタイ28:16〜20です。ここでは、新共同訳は、確かに「全ての諸国民に」と訳しますが、ある人々は同じ所を「あらゆる異邦人を弟子とせよ」と訳し、マタイは、すでにユダヤ人総体を伝道の対象とはしていない、と考えます。ギリシャ語では、パンタ タ エスネーとなります。エスネーはこのごろ街中でよく見かけるようになった言葉です。エスニック料理、その語源なのでしょう。元来、エスノスという名詞。民族、国民、ユダヤ教以外の諸国民、異邦人、異教民族を指します。但し書きがあります。

元々はギリシャのポリス(都市、城壁に囲まれた町で一国をなす)の住民に対して田舎の住民を指した言葉、とありました。こうなるとエスニックの意味も良く判らなくなります。田舎料理、外国料理、とすれば中華、フレンチ、イタリアン、京、薩摩、土佐、加賀、越前、蝦夷、いずれもエスニックだ、とはならないでしょうか。

本論に戻りましょう。教会はユダヤ人に対する伝道を何時の時点で放棄したか、これはなかなか難しい問題です。宣教命令を受けて、間もなくその一部を削除した、とは考えにくい。公式にはしないだろう。しかしユダヤ人の態度によって現実に働きかけをやめる、ということはあったでしょう。マルコ福音書は70年代に南シリアで成立と考えられます。

マタイ福音書は80年代後半に、西シリアで成立と考えられています。

この間に、ユダヤ人との対立抗争が激しくなったと考えます。70年、ユダヤ戦争。ユダヤ人はエルサレムで大勢死にました。その余韻は何時までも続いたでしょう。それでも少し時間が経ったとき、ユダヤ人はイエスの弟子たちに対する攻撃を強めていった。教会は、それに対抗するようにユダヤ人伝道を後退させる。少なくとも関わりを少なくするしかなかったのです。

 それでも教会は、主イエスの宣教命令を重んじ、多くの艱難・労苦の中で成長してゆきます。「殉教者の血は、教会の礎石(いしずえ)である」という言葉が生み出されました。

復活のイエスは40日にわたり、弟子たちにご自身の姿を顕し、信じるように導かれました。その後、弟子たちの使命を明示され、父なる神の元へ上って行かれました。

それが宣教命令です。ギデオン協会の方がお二人おいでですが、この方たちもこの命令に応えようとしておられるのです。

宣教命令を与えて、主は天に昇られました。その天とはどのような所でしょうか。エゼキエル43:1〜7aを御覧いただきましょう。預言書ですが、黙示的なものを多く持ったものです。随分半端な所できっています。

 これは、ヤハウェの栄光が満ちる所の描写です。イエスが昇ったのはこのような神の栄光が輝く所です、と示すためにこのところが選ばれたのでしょう。このところは神がいましたもう神殿です。神の玉座であり、その足台である、と表現されます。しかし同時に、注意深く、その神の座も、神を縛り付ける所ではないことが主張されます。

 私たちが頭で考え、目で探す大空のうえにある、というわけのものでもありません。

讃美歌356番は、奥野昌綱の作品。彼は徳川の侍。儒者であったと記憶。書を良くします。維新の後キリスト教徒になります。きっかけはヘボン宣教師の日本語教師、ブラウン宣教師の聖書和訳を手伝ううちに福音を知る。1872(明治5)年、ブラウンから受洗。49歳。日本人心境とは27人目。小川義やす、戸田忠厚と共に日本で2番目の牧師按手礼を受けたのは1877(明治10)年10月3日。東京の高輪教会には、この方の書いた額があります。

4節「わが君イエスよ、君いまさずば、われはのぼらじ、
あまつみくにに いかにたのしき すまいありとも」
たいへん優れた讃美歌です。その信仰は、イエス様が居られないところは神の国ではありません。イエス様が居られるなら、そこは御国です、というものです。美しく澄み渡る大空の彼方、人工衛星の飛び交う宇宙空間、それが御国かもしれないし、そうでないかもしれないのです。

旧約では、天に昇った二人の名前があります。「死を見ずして天に昇った」と記されます。
エノク 創世記5:21、

「エノクは65歳になったとき、メトシェラをもうけた。・・・エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」。
エリヤ 列王記下2:1〜、11節

「火の戦車が火の馬に引かれて現れ、・・・エリヤは嵐の中を天に昇って行った」
この二人は、神の前に正しい人、義人であったと考えられています。天に昇ってどうしたかは語られないし、記されてもいません。

主イエスはこれとは異なります。イエスは十字架の上で息絶えています。旧約の二人と同じではありません。
イエスは罪は犯されなかったけれど、全ての人の罪をその身に負い、十字架の死を受けられました。

この神の御座のあるところでイエスは何をしておられるのでしょうか。
神の右に座して、私たちの祈りが聞かれるように執り成し、即ち助けてくださっておられるのです。ローマ8:34

「だれがわたしたちを罪に定めることが出来ましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです。」

 その故に今、わたしたちは祈りによって神と交わることが出来ます。呼びかけることが出来るのです。   感謝して祈りましょう。