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2006年7月9日

《神の計画》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ福音書6:14〜29

聖書日課 エステル記4:10〜5:8、 使徒言行録13:13〜25、詩編33:4〜11

今朝も福音書から読み始めましょう。
マルコ福音書6:14〜29、これは洗礼者ヨハネが殺害される記事です。
ヨハネは、祭司ザカリヤとその妻エリサベツの息子です。
エリザベスはマリアの親戚ですが、マリア同様、不思議なみ告げにより産んだ子どもがヨハネです。6ヶ月の開きです。幼馴染と考えられています。
長じて、荒野で呼ばわる声となり、イスラエルに悔い改めるべきことを説きました。
ヨルダン川のほとりでは、イエスにバプテスマを施しています。

ヘロデ王の不行跡を厳しく糾弾したため捕らえられ、獄に投じられました。
妃ヘロデヤは、自分たちのことを批判するヨハネを何とかして殺したい、と願っていました。そこに勿怪の幸い、絶好の機会がやってきます。
ヘロデヤの娘サロメは、ヘロデのお気に入りとなっていましたが、王と客人たちの前で踊りを踊り、上首尾でした。何でも望みのものを与えよう、と言われ、サロメは母親に相談します。ヘロデヤは、憎いヨハネの首を求めなさい、と求めます。ヘロデは、殺したくなかった、と書かれていますが、人々の手前、面子もあり、ヨハネの首を持ってくるように命じます。

こうして聖書の重要人物が殺されてしまいます。一体、この事件にどのような意味があるのでしょうか。
私たちは、マスコミの報道によって様々な事件を知ります。他方、報道されることもなく、知られないままに消えてゆく事件もあるはずです。そこでは大多数の人々にとって、その意味を考える機会もありません。

ヨハネの死にどのような意味があるのでしょうか。
ヨハネの生涯にどのような意味があるのでしょうか。
わがまま娘と、その母親の憎しみによる死。
愚かな領主の面子のために殺されてしまうヨハネ。

使徒言行録13:13〜25は、ピシディアのアンティオケアでのパウロの演説の一部です。実に壮大な、神の救いの計画が語られます。エジプトのイスラエルは強大にされ、そこから導き出されたこと。荒野からカナンの地に入り、その七つの民を滅ぼし、その土地を相続させたこと。450年を経て士師の時代があり、人々の求めにより王を任命したこと。
キシュの子サウルは40年間、次いでダビデを王とした。そして、このダビデの子孫からイスラエルに救い主をお送りくださったこと。イエスがお出でになる前に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたこと。そして、民衆が期待するようなものではないこと。更にその方の偉大さを語った、とされます。

ここでは最後に、ヨハネの生涯の意味が語られています。私たちの考えでは、その生涯の途中で非業の死を遂げた人間は、その人生を完成してはいない、と言うことになるでしょう。そうした考えは様々な局面で語られたり、見られたりしています。
しかし、ヨハネの生涯は、悔い改めのバプテスマを与え、偉大な方の道を備えたことで十分なのだ、と語られています。

ここで旧約の日課を読みます。エステル記4:10〜5:8です。
エステル記のペルシャ王、その名は多くの翻訳ではアハシュエロス、インドからエチオピアに至る127州を支配しました。新共同訳はクセルクセスとしています。実名は、今日なお論議されています。一説ではクセルクセス?世で、紀元前488〜465年の20年間統治しました。ペルセポリスで発掘された礎石銘板は、彼がインドからエチオピアまでを支配したことを記します。テルモピレーでギリシャ軍を破り、サラミスの海戦ではギリシャ軍に敗れたペルシャ軍の指揮官でした。他方、ダニエル6:2は、ダリウスが120州を支配したことを明記しています。
アハシュエロスは、「統治者の中の長」を意味する肩書きであった可能性もあります。

ギリシャ人の旅行家で歴史家のヘロドトスは、クセルクセスの王妃の名がアメストリスであったと言います。この名前は、旧約には見られません。新共同訳が、クセルクセスの名前を用いるなら、王妃の名前も同様に扱って欲しいものです。

アハシュエロスは、その美しい妃ワシュティを誇り、着飾って出てくるように命じました。王の気まぐれかもしれませんが、王はその妃の美しさを人々に見せたかったようです。ところが王妃は王の命令を拒絶し、王の怒りをかいました。王は諸大臣、賢者の意見を徴します。「王妃が夫の求めを拒むとあっては、下々の女がその配偶者の言うことに従わなくなる恐れが十分にあります」と言う考えが示されました。悪い前例になる、ということです。そこで、王妃の位をワシュティから取り上げ、他の女に取らせることになり、全国から美しい娘を求めます。要塞の町スサに美しい娘がいました。バビロニア王ネブカドネツァルによって連れてこられたユダヤ人の末裔の一人です(2:5)。

先ず、モルデカイというユダヤ人の系図が紹介されます。ベニヤミン人キシュは、先ほども出てきましたが、明らかにサウル王の父を指しています。
モルデカイは、ヘブライ人の名ではなく、バビロニアの主神マルドクの名に基づくバビロニアのもの、と推定されます。多分、モルデカイは別にユダヤ名を持っていたでしょう(ダニエル1章参照)。彼は、伯父の娘ハダッサを自分の娘として引き取り育てました。これがエステルです。大変美しかったようです。遂にアハシュエロス王の妃に上げられます。2:17には「王はどの女にもましてエステルを愛した」と記されます。

3章に進みます。アハシュエロスの宰相ハマンは、王国のうちで大変高い地位に上りました。王自ら命令して、国内の全ての民は、ハマンに対し、膝まずいて敬礼するようにした。皆従いましたが、一人モルデカイだけは、膝まずいて敬礼することをしませんでした。ハマンは怒りました。報復を計画します。それもモルデカイ一人ではなく、生意気な彼の民族全体を滅ぼそうとします。このことは3章に記されています。王には、「国のうちに異なる法律を維持するひとつの民族がいます。これでは法治国家として成り立ちません。この民族を抹殺しましょう。勅令を書かせてください」と申し出ます。王は許可します。
省略します。各自で細かいことはお読みになってください。

ユダヤ人抹殺計画はモルデカイの知るところとなります。国中のユダヤ人の間で悲痛な叫びが起こります。彼は、王宮にエステルを訪ねます。
二つの有名な言葉を読みましょう。
4:14「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」。
4:16「定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」。
この二つの言葉に、モルデカイとエステルの信仰が良く顕れています。自分の存在は、あることのために、人々の救いのために備えられている、というものです。

神の計画に基づき、私たちには十分な力が与えられ、生涯が備えられています。人間的に、自己中心的に考えるなら、不満がたくさんでしょう。しかし神のご計画を考えるなら、これで十分なのです。ヨハネを描いた絵画は多くあります。斬り落とされた首を描いたものもあります。ベリーニは大皿に載せられて運ばれてきた首を描きました。無念そうな表情にしています。そうではない、と私は感じます。それなりに充足していたはずだ、と。

詩編33:4〜11は、このような神の救いの計画を讃美する詩編です。
これをお読みして、私たちも共に主を讃美いたしましょう。