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2002年9月29日

《病を担う人》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
イザヤ53:1〜12

神学校を卒業したのが1968年(昭和43年)の4月でした。以来34年、四つの教会(神山を入れさせていただけるとすれば五つ)と二つ(厳密には四つ)の学校を経験してきました。本当はご奉仕してきましたと言いたいのですが、それほどの事もしていないと思い、言えなくなってしまいます。
それだけの経験の中でも、このイザヤ書は余り説教した事のない個所です。私は旧約に基づく説教を好みます。旧約の学者でもないのに、自分でも不思議です。旧約を説教するだけの学識経験が自分には欠けている事は十分に承知しています。それでも旧約を取り上げてきたのです。しかし、このイザヤ書は取り上げていない。今朝は敢えてそのイザヤ書に取り組みます。紀元前8世紀後半の預言者です。
 イザヤ書の最初の部分は、39章まで、アモツの子イザヤと呼ばれる預言者のものです。彼は貴族の出身です。その時代については、1:1にはっきりと書かれています。
「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世の事である」。
彼の預言活動は、アッシリアがエルサレムを攻めて来た時のことです。南王国ユダの人々は恐れました。強大な軍隊が攻撃の準備を整え、進軍して来る。降伏・和睦するか、戦うべきか。その場合単独では戦えない。エジプトと同盟を結び、王国の独立を図ろう。同盟を結べばアッシリアは脅威を感じて、戦わず帰国するかも知れない。
 政治家の考えとしては妥当なものでしょう。軍人は勝てると思えば戦いたがる。負ける戦争は誰だってしたくない。皆自己保身に走り、最も大切な事を忘れてしまいます。戦争になった時一番苦しむ「人間」を忘れて論議をするのです。忘れ物があるとき論議は紛糾します。対立と分裂、抗争が生まれます。その時に立ち上がり王や貴族、軍人、一般の人々に語り掛けました。
 エジプトの助けは空しくはかない。         イザヤ30:7
 まことに、イスラエルの聖なる方 わが主なる神は、こう言われた。
 「お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。
 安らかに信頼していることにこそ力がある」と。
 しかし、お前たちはそれを望まなかった。      イザヤ30:15
 イザヤが指摘したのは、神の恵みと救いの力への信頼の欠如でした。エジプトとの同盟はその馬、軍事力を信頼する事。それは儚い。何故でしょうか。助けを求め、助けられたとしても、次にはその助けてくれたエジプトがイスラエルの上に君臨するようになるのです。
 イスラエルの指導者たちが、そして民衆が、唯一の主なる神への信頼を忘れている時に、そのことを指摘したのが真の預言者アモツの子イザヤでした。そのことの次第は列王記下18章以下に記されています。19:35がその結果です。
「その夜、主のみ使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。」
静かにして主に信頼する事こそ、何にも増して大切な事なのです。

その後、様々な変化がありました。イザヤの預言には続きがあります。
ユダの王ヒゼキヤは病気になります。アッシリアに代わって台頭したバビロニアの王、メロダク・バルアダンは、見舞いの使者を送ります。喜んだヒゼキヤはエルサレムの全ての財宝を見せます。イザヤはその事を知ると預言します。列王下20:16以下。
「あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。」エルサレムの敗北、崩壊の預言です。
これも現実の事となります。

 バビロニア王ネブカドネザルは紀元前587年7月29日、エルサレムの城壁を破り、一気に城内になだれ込み殺戮と略奪、破壊を展開した。神殿も破壊され、この聖所に結びつくあらゆる希望を奪い、新たな抵抗の芽を摘み取ろうとした。
既に597年の捕囚後、エルサレムに残っていた者達も新たにバビロンへ送られた。
597年、587年、582年、この山塊の捕囚総数は4600人とされ、残った者は主として下層階級の地方在住者であった。

 このように悲惨な戦争を人間は何故繰り返すのだろうか。自分たちは勝利者となり繁栄を楽しめるからと確信している為であろう。しかしその勝利者の側にも必ず犠牲は伴う。小さな争い、少しばかりの略奪、ちょっとした欲が戦争へと人々を駆り立てるようになる。そして、大きな犠牲を払わされるのだ。

 さてこのバビロン捕囚の人々は、どのような生活をしていたのだろうか?
きた王国が同じように囚われの身となった時、彼らは現地の人々と混在し、固有のものを失い、再びイスラエル人として生きるようにはならなかった。今回の人々は、その過ちを繰り返さない為にどうすべきか考えた。
 そこに登場するのが、祭司階級出身だった若い人々のグループだ。捕虜の身分ではあるけれども、イスラエル人としての誇りを持とうと呼びかける。
旧約聖書の中で特によく知られている二つのグループがある。
 一つは創世記第1章を編集した人々だ。あの記事の一つ一つを捕囚のイスラエル人の生活、その心の状態と考え合わせると良く理解できる。
カオスと呼ばれる最初の状況。その中に神の創造の言葉・意思が貫き通される。世界が出来上がり、全て善しと認められる。創られた人は、神に代わってこの地上を支配せよと命じられる。捕囚のイスラエルに希望をもつように語るのだ。
もう一つのグループは、より預言者的と言えよう。何故このような悲惨な状態になったのかを考える。「すべて良し」とされる創られた世界の中で、イスラエルが神ヤハウエに信頼するよりも、自分を、人間の力に頼り、傲慢になっていたためなのだ。今こそ神だけを主と仰ぎ、偶像を退けるならば、主なる神は助け手を送り、我々をこの恥辱から解放してくださってくださる。その助け手は我々に代わって苦しみ、悩み、病をもその身に担ってくださる。これが、イザヤ書40章以下の部分で、普通第2イザヤと呼ばれている。特徴は「苦難の僕」と呼ばれる助け手のことだ。50年後にイスラエルを解放し、故郷へ帰らせるペルシャ王キュロスがその人である、とも考えられた。
しかしどうもそうではないらしい。
 何よりもここで語られる解放、救いが所謂捕囚からのものであると限定できるのか。
今ではこの救い手、メシアは神の子キリスト・イエスであると理解されるようになった。
今、岩槻教会ではマルコ福音書を学んでいる。そこに現れるイエスの姿は、早くも人々の穢れや悩み、苦しみ、病をその身に担うことで、人々をその悲惨から解放する助け主なのです。

 私自身の事でお話する事をお許しください。岩槻教会での19年間、いつも他の方々が私の務めを担い、助けて下さいました。将にキリストご自身が私と共にいて働いて下さっているかのようでした。そこから希望が生まれます。
 大切な事を忘れると教会は立ち行かなくなります。神の恵みを忘れてはなりません。
周囲の事、今の事、過去の事、自他に関わらず、神の恵みを数え上げましょう。どのような状況の中にあっても神は恵みを以って私たちをもてなして下さったのです。
数えてみよ主の恵み。
祈りましょう