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2011年1月31日

《小西義己兄葬儀説教》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
詩篇90:1〜17

小西兄は、2008年5月15日(木)午後自宅から会社のかつての同僚と会うために出かけて、交差点でトラックにぶつかられて転倒しました。以来一度も意識を回復することなく、天に帰られました。多くの家族、友人は、意識を回復したら、きっと面白い話をしてくれるだろう、と期待していました。それを信じて祈りました。残念ながら、以来、一度も意識を回復することなく、1月28日、天の故郷目指して旅立たれました。86歳でした。

通常は、個人略歴をお読みしますが、今回は、小西さんがご自分で書かれたものを読ませていただきます。歌集にもありますが、それは各自でお読みいただきましょう。ここでは、葬儀のために、小西さんが準備してくださったものをお読みいたします。

小西善己(よしみ)の略歴(別紙)、

この略歴を書かれた一年後、2008年1月、小西さんは『背負われて』と題する歌集を出版されました。1999年、玉出教会の短歌の会、《まきば》の仲間になります。毎月歌を詠み、たまったものの中から、主宰・指導の井川英子先生が選び、一冊としたものです。
75歳から83歳に当たります。
文学を志す者でも、なかなか出来ないことを小西さんは成し遂げられました。
天性は詩人・歌人であったか、と存知ます。鋭い感性、優しい眼差し、分析し再構築する力、言葉や表現を学ぶ姿勢、それを蓄える能力。感服するところです。

歌集では、井川先生が、序文の中で、次のように書いておられます。『老齢期に入ってから大病を経験されました。この部分、この一冊の圧巻と思われます。・・・信仰と祈りに支えられつつ、八ヶ月の、死を望むほどの難患を潜り抜けて、今甦りの喜びを享受され、尚十年は生きる意気込みを与えられています。』
この難患、大病は一体どのようなものだったのでしょうか。あとがきに次のように書かれています。
『2004年夏より八ヶ月入院、前立腺癌の告知、腹部大動脈瘤の置換手術、腸閉塞の手術、
腹部三回の手術でかなりの重病、新任の牧師をはじめ信徒の方々のお見舞いや祈りに支えられ、完治しない病なれど小康を得ている現状です。』

その病気を詠む中から数首をご紹介
百日を 超える闘病 楽しみは 毎朝見舞う 妻の「お早う」(166)
泣きながら キャロル歌えば 泣き声の ヴォリューム次第に 大きくなりぬ(169)
祈れども 答え返らぬ日の多く わが信仰を 主よ強めたまえ(166)
クロン病 前立腺癌 腸閉塞 今日パーキンソンと 医師の言うなり(230)

奥様への感謝の心・多数
いそいそと 退院支度の 妻を見て 苦労かけたと 心で詫びる

ご家族愛
子や孫と 鍋を囲みし翌日は うどんを入れて すするも楽し

教会へ
久々の 礼拝出席感激の 涙にむせて 拍手に答える(180)
二兄弟 ペンテコステに 受洗せり 五月の空の 晴れやかにして(217)

浜坂への情
入院で ふた夏ぶりの 盆帰省 小池水枯れ 蟹の住処に
病み上がり 一人歩きは許されず 窓より眺む 故郷の四方

歌集の最後に配されたもの
あの人も この人も出る 夢の中 八十年を 一瞬に見る

最晩年の信仰
悲喜苦楽 神が備えし道なれば 委ねて昇らん 喜寿の坂道  (P91)
「神与え神取りたもう」とヨブは言う み旨に委ねて安き日々得ん  (P142)
信仰を 我より取れば 残るもの 何も無きなり 病みて悟りぬ  (P144)
169ページから175ページ当たりは圧巻
欲も失せ ただ主の愛を 信じつつ ひたすら歩まん 今日も明日も(231)
主に負われ 友に祈られ 病む日々を 乗り越え迎う よろこびの初春(はる、2007年)


一人の人の生涯は、振り返る時を迎えると、次の世代へのメッセージのように読むことが出来ます。
小西さんにとって信仰とは何か、人生とは何だったのでしょうか。

1、 キリスト信仰は、生の目標,生きる拠り所、生き甲斐でした。
軍国少年だった時代、きっと生き生きしておられたのでしょう。
お国の役に立つぞ、と腕を磨いていたことでしょう。
その夢は、敗戦によって消え失せました。不敗の神国日本は崩壊しました。
物造りの、船造りの技術は残りました。
でもそれは何のために用いるのか、考えます。悩みます。出会いがありました。
1947年クリスマス、受洗です。
キリストのために生きる。神の栄光を表す。

2、ある科学者は、わたしの人生で最大の発見は、『キリストが私を愛してくださり、私のの罪の身代わりになって下さった』ということです、と語りました。万有引力を発見したニュートン先生です。
よしみさんも、同じものを発見しました。故郷浜坂で。
浜坂は、かつて生を受けた古里、生れ故郷に留まらなくなりました。愛が深まりました。
新しい小西よしみの、心の生れ故郷になりました。「先生一緒に行こう」と誘われました。
こうして、徹頭徹尾浜坂を愛する、浜坂の人になりました。
事故の翌日には浜坂へ行く計画でした。もう一度行かせてあげたかった。

3、失われた28年間があります。
住吉川伝道所、教会を造るための28年間。
長岡夫妻と力を併せ、神の栄光を表そうと励んだ日々
ご夫妻が天に召され、悲しい別れをした後、ついに閉鎖となり、号泣します。
一つの終わりは、新しい時代、新しい世界への扉を開けることでした。
生涯の終わりもまた、新しい命、永遠の命の始まりです。

4、玉出教会へ移ります。
退職後の生活を埋める短歌と出会います。
そうした小西さんにとって、短歌は祈りでした。

5、また病気も経験します。頑強なように見た者が、相次いで病魔に襲われます。
家族、友人、祈りに支えられて、甦りました。「90過ぎまで」、生きる意欲も帰って来ました。教会の仲間も疑いませんでした。
病気によって教えられたこともたくさん。
不如意なことも神の御旨、善し悪し共に受けよう、味わいましょう。

神から、そして多くの人から愛された小西さんは、御国へ帰られました。再会の時があります。同じ信仰の道を辿ることで、よっチヤンが待つ御国へ行くことが出来ます。
この希望によって慰められますよう願います。