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2010年8月22日

《すべての人に対する教会の働き》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
使徒13:44〜52

  聖霊降臨節第14(三位一体後第13)主日
  讃美歌80,240,332、 交読文11(詩40篇)
  聖書日課 イザヤ5:1〜7、使徒13:44〜52、マルコ12:1〜12、詩編40:2〜12、

 列島全体が、サウナ風呂に入ったようになっています。北信濃の牧場の涼しさを懐かしく思い出します。と言っても、あの高原地帯でも関東、関西が猛暑に襲われたときは、同じように暑くなり、涼を求めたものです。それでも日が暮れると涼しくなり、クーラーなしでも眠ることが出来ました。木陰に入れば、涼しい風が通って行きました。

このところ急に落ち葉が増えました。セミの死骸を見つけるようになりました。昨年、今年に植えた、アジサイの葉っぱが塩たれるようになっています。暑さに加えて降雨量が少ないため、水分が不足しているのでしょう。要するに、人間同様、熱中症になりかかっているようです。
この暑い中、それだからこそ、水遣りが大事になります。

 讃美歌217番は、余り選びませんが、今の状況にはふさわしい、と感じられます。
1節「あまつましみず ながれきて、 あまねく世をぞ うるおせる。
   ながくかわきし わがたましいも、くみていのちに かえりけり。
2節 あまつましみず 飲むままに、 かわきを知らぬ 身となりぬ。
   つきぬめぐみは こころのうちに、 いずみとなりて 湧きあふる。
3節 あまつましみず うけずして、 つみに枯れたる ひとくさの
   さかえの花は いかで咲くべき、 そそげ、いのちの ましみずを。」

 罪の発する熱により、熱中症になりやすい人間を癒やす清水があることを歌い、その水を飲むべきことを勧めます。主イエスが、スカルの井戸べで、サマリヤの女と交わした会話がもとになっているようです。ヨハネ福音書4:7以下、
17節「私が与える水を飲むものは決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」

 世俗の熱中症対策には、少々の塩気を含んだ水がよろしいと聞きます。
罪の熱中症には、み言葉という塩気を含ませた水が必要です。
私たちは、永遠の命に至らせるみ言葉という真清水をいただきましょう。

 さて本日の聖書は、パウロの第一回伝道旅行の発端部分です。使徒言行録13章。
 パウロまたの名はサウロ、彼はすでに使徒9:15で、神から召しを受けた時、異邦人宣教の使命を受けていた、そのために選ばれた、と考えられます。
 彼がシリアのアンティオキアで、バルナバと共に、教会によって送り出され、ピシディアのアンティオキアにやってきます。
 横に書かれた片仮名は苦手です、と仰る方が多いものです。私などは、よくお付き合いしているほうだと思いますが、それでも間違って憶えていたりするものです。

 このアンティオキアなどは、難しいものに属するか、と存じます。同じ名を持つ町が二つ登場します。東にあるのが、シリア。西に位置するのがピシディアとフリギア。
 先ずシリアのアンティオキアから。
紀元前300年頃セレウコス1世ニカトールが、セレウコス王朝西半分の首都として創設、父アンティオコスの名を付けたものです。現在では人口3万余、トルコ領?の小さな都市アンタキアです。地中海都市として繁栄し、1000年の歴史を描いた書物もあるほどです。
 町は地中海東岸のセレウキアという海港からオロンテス川を24キロ遡った、肥沃な平原に建てられました。最初はギリシャ・マケドニア人を植民させ、以後、拡張されると、土着の住民など新しい住民を受け入れました。

 紀元前64年にはローマのポンペイウスによって、帝国のシリア県の首府とされ、前47年にはカエサルによって自由都市とされました。こうしてアンテオケは、ローマ帝国第三の都市として栄えます(ローマ、アレキサンドリアに次いで)。当時の人口が50万と言います。計画都市で宮殿、大理石の円柱が二筋に伸びる列柱街路は東西に6、7キロ。夜間照明があり、車道と人道を照らしていました。ダイアナの神殿、円形劇場、競技場、公衆浴場、噴水、上下水道の施設などがありました。

 アンテオケは、哲学、医学、修辞学で有名でした。同時にアポロ神殿が人々をひきつけています。人の集まるところ、その欲望を満たす活動がなされます。この町の一部にそのような歓楽街があり、風紀の紊乱で知られていました。

アンテオケに関する面白いエピソードを、馬場嘉市氏が書いています。
紀元40年、皇帝カリグラは、自分の像をエルサレム神殿に建て、神として礼拝させるよう、シリア総督ペトロニウスに命じます。ユダヤ人は、総督に懇願し、神殿に皇帝の像を建てるなら、我々の首をはねてください、と訴えました。心動かされたペトロニウスは、強行すれば反乱の恐れがあるので企てを中止するように、進言します。カリグラはこれを怒り、職務怠慢の故をもって、自害することを命じます。その使者は悪天候のため3ヶ月の時日を要し、アンテオケにつきます。それより27日早く、カリグラ暗殺さる、とのニュースが届いていました。ペトロニウスは助かりました。
 ペトロニウスが、この進言を送る覚悟を決めた日、大雨が降り注ぎ、長く続いていた旱魃が終わりました。

 他方、ヘロデ・アグリッパは、ローマヘ急行し、カリグラにその企てを断念させよう、としていました。カリグラの死により、新皇帝クラウディウスの認めるところとなり、ユダヤ・サマリヤの王に任じられます。
 このようにして、多神教の国、ローマでユダヤの神は知られ、ある意味の勢力を得て行き、キリスト教宣教時代を迎えます。イエス・キリストの父なる神の周到な準備を見ている感があります。

 この町にはすでにイエスを信じる者たちの群れがありました。その人たちの名前があります。まず、「ニゲルと呼ばれるシメオン」。ニゲルはラテン語で「黒」を意味します。シメオンはユダヤ名ですから、アフリカ出身の改宗者と推定されます。次はキレネ人ルキオです。キレネは北アフリカ、ルカは、福音書の23:26で、「田舎から出てきたシメオンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、」と書きます。
 この後シメオンは、弟子たちから重んじられ、仲間となったのではないでしょうか。
 とすればこの13章のシメオンもキレネ人と言えば良さそうです。そうしなかったのは、この人物が特別であって、他の人と同一にすることは出来ない、と考えられていたのでしょう。それは、このニゲル・シメオンが、主の十字架を背負った、という特別な体験をもっていること、そこから主の弟子の仲間になったこと、によると考えます。

 次に出る名前は、領主ヘロデ、これは、先ほどローマヘ急ぎ、新皇帝クラウディウスによってユダヤ・サマリヤの領主となった人です。その乳兄弟マナエンについては知られていません。ヘロデ一家の考え方からすれば、弱々しい人で、王位を狙うとは、とても考えられない人物だったのでしょう。優しい人であれば、人望を集めることが可能であり、粛清されることが考えられます。王家には近くても、王位からは限りなく遠い人に違いありません。
 預言する者や教師たちがいた、と記されますが、名前は記されません。皆が礼拝をし、断食・祈祷していると、聖霊が告げます。
 「バルナバとサウロを選び、決めておいた仕事に当たらせなさい。」
伝道者の出処進退は、その個人の都合ではありません。自己理由ではないし、一身上の都合でもありません。神の召しにのみ、応えることです。
教会とバルナバ、サウロの二人は、この召しに正しく応え、旅立ちます。助手としてヨハネが同行します。キプロスから、サラミスへ進みます。そしてピシディアのアンティオキアに到着します。

 ピシディアのアンティオキアも、紀元前300年頃、セレウコス・ニカトールによって創設されました。この町は、実際はフルギヤに属していましたが、もう一つメアンデル川に沿うフルギヤにアンティオキアがありました。これらと区別するために、ピシディア国境に近いほうをピシディアのアンティオケアと呼んでいます。フルギヤ、ピシディアは、現在のトルコ内陸部、中心より西よりになります。
 紀元前189年、ローマにより自由都市とされ、多くのユダヤ人が入植しました。前25年、ローマのガラテヤ県に編入され、軍事・政治の中心地となって行きます。

 この町で二人は、安息日に会堂に入ります。9節からパウロと呼ばれるようになります。
パウロは伝統的な、ベニヤミン族の衣装、ファリサイ人のしるしを身につけていたでしょう。これを見る人は、何か聞くべきものをもっている、と感じさせられました。会堂長は、安息日にふさわしい話をするように求めます。パウロは立ち上がり、長い話をします。現代のように録音、録画はありません。その時代の人たちの記憶力は非常に高かった、とされています。恐らく大事な部分は文字通りに記憶され、細部では違うこともあったでしょう。パウロの演説は、記憶され、それをもとに再現されています。大筋は、信頼されます。

 パウロはイスラエルの歴史を語り、そこに示された神の恵を語り、キリストによる罪の赦しを告げます。終わって二人が会堂を出るときには、多くのユダヤ人、改宗者が付いて来た。そして語り合い、次週も来て同じことを聞かせて欲しいと求められました。
 次の安息日には、町中の人が集まった、と言います。正確な数を問題にするのは、現代の私たちです。集まった者は全て、そして集まらなかった者も全て、と考えれば宜しいのです。これを「見て、ユダヤ人はひどくねたみ、口汚く罵った。」と語られます。

 妬みは、ゼーロス(ヘブル語、妬み、熱心、熱意、競争心)。ユダヤ人たちは自分が信じることについて熱心でした。この熱心が滅びを招くこともあります。自分が持っていないものを他の人が持っている時に惹き起こされる感情。私たちが良く知るものです。
 ここでパウロとバルナバは、勇敢に語ります。「神の言葉は、先ずあなたがたに語られるはずでした。それをあなたがたは拒絶しました」。
 ユダヤ人は、自分で自分を永遠の命を得るに相応しくない者としてしまいました。私たちは異邦人の方に行く。ここでイザヤ書49:6が引用されます。
 異邦人は、国籍や、人種、言語、風俗・習慣ではありません。キリストの福音を光として受け入れていない全ての人を指す言葉です。
 パウロの言葉は、現代に至る全ての時代の、全ての教会の働きを指し示しています。
世の光、命の真清水である主イエス・キリストを宣べ伝えること、その伝道に専念する伝道者を送り出すこと、これが教会の使命です。