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2010年1月24日

《宣教の開始》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ1:21〜28

  降誕節第5主日、讃美歌88,523,224、交読文9(詩46編)
  聖書日課 詩編29:1〜11、申命記30:11〜15、?ペトロ1:21〜28、マルコ1:21〜28、

 今月の朝日新聞で、関東で生まれ育った私には理解できない記事を読みました。
結婚と新生活に関するものです。関西では新世帯を構えても、出産は実家に帰るのが当たり前、嫁ぎ先へ帰るときは、赤ちゃんの衣類など全て実家に整えてもらう。その後も成長するに従って必要になるものは全て実家が整える。こうしたことが書いてありました。
何気なしに読み飛ばしてしまいました。普通大事な記事は、切り取っておくのですが、そのときは深く考えることもせず、捨ててしまいました。
今となっては、この記事の正しさは、大阪の皆様にお伺いするしかありません。

 関東では、通常、子供が結婚するという事は、自立、独立することであり、若い二人が力を合わせて、乗りこえて行くもの、と考えられています。結婚式が済んだら、そのあとは自分たちで一切をまかなうのが当然、双方の家は時に助けることもあるが、通常では介入しません。ですから教会で式を挙げる時も、非常に解りやすかった。式で、父親が娘と歩き、新郎に渡すのは、此処までは親の責任、此処からは配偶者の責任ですよ、ということですと話し、納得されました。

 東西の考え、慣わしの違いがあります。京女に東男、と言われますが、その場合はまだしも、京男に東女だったら如何でしょうか。娘・東女の実家は、出産に際して何もしないのが当然。
男性・京男の親は、嫁の実家が何もかもするはず、当然と考えている。
慣わしの違いから、両家の溝が大きくなるでしょう。

 関西出身のある方に言われたことがあります。
「持田さん、あなたは四人のお子さんを学校へ行かせたけど、勿論ご両親に助けていただいたのでしょう」。これは、定期的な支援を意味しているようでした。
「いいえ、そういう事は全くありません」  「助けていただいたでしょう」

 困りました。精神的には助けられ、時に贈り物、お小遣いを貰うこともあったでしょう。
しかし、この時、意味されたような、定期的な援助などは考えられないことです。学費を全額負担してもらう、そのような事は、恥ずべきことと考えていました。その上、子育ての最中は忙しくて、親の家へ行き、食い稼ぎをすることもできませんでした。その時々の生活を大事に考え、将来の事は、神様にお任せするしかありませんでした。
 此方へ来て「箱根から東は、外国です」と言われたことを、意外なことで実感しました。
大きなカルチャー・ショック、背負ってきた文化の違いを感じさせられました。

 前週、宣教の第一声をもって、主イエスの活動は開始されました、とお話しました。
それに続いて、最初の弟子たちが、招かれました。
今回は、その第一声がどのような結実を見せたか、宣教の実質化、とも言うべきことを教えられます。

 第一声では、「神の御支配が限りなく近付いている」と語られました。
御子イエスがいましたもうところは、神の御国である、と示されました。
ガリラヤの漁師たちは、イエスを主と拝し、従い、人を獲る者になりました。
異教的支配のガリラヤからの離脱であり、自由への跳躍、飛越でした。

 主イエスは弟子たちと共に、ガリラヤの町カフェルナウムに来ました。
カファルナウムは、ガリラヤ湖北岸、西寄りにある、漁業で重要な町。またシリアとエジプトを結ぶ主要な貿易ルート上にありました。イエスの時代、この町は、強制的に税金集めをするローマ兵の拠点とされていました(スタディ版)。ギリシャ・ローマ風で、異教支配の象徴のような町、と言えるでしょう。ある意味では進歩的、革新的と言われるでしょう。伝統を重んじるユダヤの人間には、我慢ならない町だったに違いありません。
ナザレは、同じガリラヤでも南岸から西へ20キロほどはなれたところです。

 主イエスは、このカファルナウムで、会堂に入って教え始められました。どれほど異教的な町であっても、ユダヤ人が10人おれば、其処に会堂を作ることが求められています。
それほどに重要なものです。それはこのシナゴーグが、単なる宗教施設、礼拝所に留まらず、ユダヤ人の地域社会で、学校、裁判所の役割を果たしてきたためです。
 此処で主イエスが、何を教えられたか、お話しになられたか、記されていません。
これを観た多くの人が同じ状態になったに違いありません。「権威あるものとして」主が話されたことに感動し、心が一杯になってしまったのです。これは、言葉が心に届いたことだろう、と感じます。

 ある婦人が、こんなことを言われました。
「不思議なことですねえ。日本語で話される説教が、解らないことがありました。
そう、言葉の一つ一つは解っているのです。それでも何を話しているのか、理解することが出来ません。いつも、今ひとつ、腑に落ちないのです。そういう説教でも、牧師であり、信徒ですから、義務として聞いてきました。辛かったですよ。」

 よく説教が解る、解らない、と言われます。たいていこのような形ではないでしょうか。
日本語だから、言葉は解る。でも何を話そうとしているか解らない。言葉が心に届かない状態です。

 しかし主イエスの場合、事情がまったく違いました。理解できる言葉で、心に届くように話されました。律法学者たちは、同じ理解できる言葉で話しても、その内容は心に届かないのです。その荘重な身なり、話し方や仕種、立派な話術、論理。空疎なものが漂うだけだったようです。

 主イエスは、権威ある者のように話された、とあります。
以前、権威と権力は違うものだ、とお話しました。
権力は、力を用いて屈服させるもの。
権威は、力を用いない、強要しないのに、自然と屈服するもの。頭を下げてしまうもの。
主が話される時、特別な話し方、強調したりすることもないのに、聴く人は自然に納得し、心から受け入れている。それはまさに神の御支配が、今此処に来ていることを感じさせるようなことでした。

 それに続いて、23節です。この会堂に、汚れた霊に取り付かれた男がいました。この男は、イエスの権威に反応したのでしょう。叫び始めます。
「ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。
神の聖者だ。」
叫びは、喜びのときにも出てきます。恐怖と不安の時にも叫びます。声にならないこともあります。これらの叫びはコミュニケーションを成立させるものではありません。感情は伝わりますが、論理は希薄です。

 この場面の叫びは、私たちが普通に考える叫びとは違うようです。むしろ大きな声で、激しく語ること、と考え、理解したほうが良さそうです。その言い分はイエスに届きました。答えがあります。「黙れ、この人から出て行け。」黙れ、と仰るのはご自身が、神のみ子、救い主である事が、今は秘密の段階だからです。主イエスと汚れた霊の間にはある種のコミュニケーションが成り立ちます。汚れた霊もイエスを知り、その言葉を聴いて従います。私たちも、ときに汚れた霊に取り付かれたような状態になります。そのときでも、主イエスとは交わり、コミュニケーションを持つことが許される、というのは福音です。
拒絶されるのではなく、おるべきところに導かれるのです。

 汚れた霊は、この男に痙攣を起こさせ、大声を上げて出て行きました。
今まで、この男に、どんなことでもさせていたのでしょう。悪い力を思うままに発揮していた霊でした。いつまでもそのように出来る、この男を支配できる、と考えていたことでしょう。
しかし主イエスの前で、その力を失いました。
今やこの霊に出来る事は、この人を身震いさせるぐらいのことでした。
その身に着いたゴミを、振るい落とすかのような身震いでした。

 ここでも福音書記者は、この男の人がその後どうなったか、何も書いていません。
私たちは何でも知りたがります。そして偶々知ることが出来ると、それを誇ります。
他方私たちはそのために、何が最も大切なことか、見失いがちです。
聖書記者たちも、きっと好奇心・観察力は旺盛だったでしょう。それでも、たくさんの事柄の中から、何を伝えるべきか、充分に検討し、書いてくれました。
最大、最高のニュースは、主イエスに関することでした。
そのためでしょう。その会堂に居合わせた人々も、汚れた霊の行方や、男のそのあとの事ではなく、ただイエスがなさったことに関して論じ合いました。

 そして、イエスの評判は、ガリラヤ地方の隅々にまで広まりました。
この段階で、ガリラヤ全土に広まる、という事は大きなことです。
やがてユダヤ、サマリヤへ。更にシリアから小アジアにまで広まり、其処からヨーロッパにまで、イエスのことが伝えられ、人々に知られるようになります。これが宣教です。

 宣教とは何でしょうか。主イエスが初め、弟子たち、教会が受け継いできたことを示すのは何でしょうか。神の御支配がここまで来ている、ということを示すことです。他のあらゆる、支配する力を排除しつつ、神の愛による支配を来たらせることです。
私たちの、この主日の礼拝が、第一義的な宣教です。
ある教会では、式次第の説教を、宣教と呼んでいます。

 主イエスの甦りを記念する『主の日』の礼拝、これこそ私たちが主イエスの宣教に参加する営みです。主イエスの働きに参加することが許されています。

 感謝しましょう。