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2009年10月18日

《天国に市民権をもつ者》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
黙示録7:9〜17

  聖霊降臨節第21(三位一体後第20)主日、信徒伝道週間・教育週間
  讃美歌20,174,290、交読文6(詩23篇)
  聖書日課 イザヤ33:17〜22、黙示録7:9〜17、マタイ25:1〜13、詩編36:2〜10、

 先週火曜日に未知の男性、お二人がお出でになりました。お話しているうちに、お二人は牧師であり、そのお一人のお名前は持田であることが解りました。お尋ねしました。
 「ナザレン教団の持田先生ですか」
 「青葉台に居られた」、「その通りです」
それは、嬉しいことでした。神学校を卒業して以来、キリスト教年鑑の名簿にいつも並んで掲載されているお名前が、ナザレンの持田先生ご一家でした。頌栄の生徒が青葉台の教会の信徒となりました。「良い先生です」と聞いていました。いつかお目にかかりたいものだ、と願っていましたが、その機会を得ませんでした。その持田嗣生先生と、この大阪でお目にかかれるとは思っても見ませんでした。しかも四人しかいない持田姓の二人が、此処に揃いました。四人とも教派が違います。会うことは難しいかな、と感じます。あちらの先生も、年鑑でいつも意識していました、と言われます。現在はナザレンの理事長、桃谷の教会です。関東に居ては、お会いすることができず、大阪でお目にかかるとは、なんたる恵み、と感じます。一寸先は闇、とよく言われますが、反対に、こうした恵みが大阪に備えられている、ということも見通し得ないものです。

 本日の日課は、教団の式文では、葬儀礼拝、記念式礼拝に読まれるところとして指定されています。何回も説教していそうですが、私自身、黙示録を考えることが面倒に感じられ、これまで説教をしないで、来ました。横着と言われても仕方がない、と感じます。そのため、こうした機会が与えられたのでしょう。

 ヨハネ黙示録とはどのような書なのでしょうか。マルコ福音書やダニエル書・エゼキエル書の一部と同じく、黙示文学とされます。アポカリュプシスが元の呼び名ですが、これは、闇の中に隠されているもの、秘密・真理を明るみに出す、という意味を持ちます。そのため、開き示すこと、啓示と言う訳語も用いられます。啓示されても、なお秘義であり続けます。ヨハネは、この書を書いた人の名ですが、使徒ヨハネ、なのか、知られていない長老ヨハネなのか、判然としません。 書かれた時代は紀元60年代から90年代まで、諸説があります。ネロ皇帝の治世で、キリスト教への迫害が始まった頃からドミティアヌス皇帝の血腥い時代にかけて、となります。

 ドミティアヌス(81〜96)は、ヴェスパシアヌス帝(69〜79)の次男。ネロの如き暴虐の君主、暗殺される。キリスト教の発展に対抗し、皇帝礼拝を強要する。
ヨハネをパトモス島に流したのも、彼である、と伝えられる。
兄ティトゥス(79〜81)は仁政を布く。ポンペイを壊滅させたヴェスヴィオス火山の噴火は、この79年即位後のこと。

 ヨハネ黙示録は、迫害と殉教を背景として書かれたものでしょう。ドミティアヌス帝は、皇帝礼拝を拒絶するキリスト教徒を無神論者として処刑した、と伝えられます。
テルトゥリアヌスは書いています。「キリスト教徒は、すべての者が分有する財産を共有して、すべての者が共有する唯一のもの・妻を分有している」。これが当時の真相であり、キリスト教が敬意を集め、進展した原因。同時に、ある人々から嫌われた原因です。

 黙示録全体に出てくる「玉座にいます方」は主なる神であり、その傍ら、あるいは玉座の中央とも書かれますが、「子羊」は、主イエス・キリストを指します。
 黙示録7章を読むと白い衣を着た大群衆が出てきます。これは信仰を貫いた多くの信仰者。「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった」とされます。

 現代の私たちは、これを当然のように読んでしまいます。良く考えるべきでしょう。
これが書かれた時代は、キリストの甦りから数えて早ければ30年。遅くとも55年ほどなのです。その程度の歳月のうちに、教会はこれほど広範囲に宣教し、成果を上げていました。凄い伝道力です。

 もしこれを割り引いて読むべきだ、としても、この時代の教会、またこの書の記者は、イエスをキリスト・救い主と信じる者が、諸国、諸民族、諸言語のうちに広げられることを見通していたことになります。この頃はまだ小さい群れであったはずです。それでも将来、大きな群れとなることをこれほどはっきり書くことが出来ました。その信仰の力に感嘆します。更に、歴史を見通す力が非常に豊かです。

 歴史を見通すことは、どのようなレベルでも、なかなか困難です。
占いをする人が繁華街の街角におられます。銀座ですと、有楽町駅の近く、銀座教文館の裏など、良く見かけます。私が通りかかるのは、早い時間なのでお客さんの姿を見ることは稀でした。遅くなると結構おいでになっているようです。これから先、どうなるのか知りたい人がいるわけです。自分では解らないので占ってもらう、とも言えるでしょう。
 私は、人様の商い、お仕事を批判したり、非難したりするつもりはありません。
孔子の教えの中に、易経があります。四書五経の一つ、占いを教えるものです。君子たる者が身につけるべき学の一つとされていました。立派な仕事です。
 ただ私たちの社会では、当たるも八卦、当たらぬも八卦、などと言い倣わされています。
占いを気休め程度のものと考えているのです。

 私が青年時代に見た映画のひとつに『トロイのヘレン』があります。主役は、ロッサナ・ポデスタ、後に『黄金の七人』という映画でも主役、人気を博しました。その頃は無名のブリジット・バルドーが端役で出ていたことは、後になって知りました。

 これは、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の一部を映画化したものです。その当時、ホメーロスを知っていたわけではありません。むしろこの映画でギリシャ神話の面白さを知ったように思います。書店に注文し、取り寄せ、読み始めました。トロイの王プリアモスとその息子パリス、スパルタの王アガメムノンとその妃へレンを中心に大勢が登場します。入り組んでいて、名前を覚えるだけでも一苦労。次第に面白くなりました。

 その大勢の中で見逃せないのが、トロイの王女カッサンドラです。彼女は心の病とされますが、その占いが良く当たることも知られています。それにもかかわらず、人々はその預言を受け入れようとはしません。パリスをこのまま放置しておけば、やがてトロイは滅びる、と繰り返し預言します。あの有名な『木馬』についても「城内に引き入れるな、引き入れると滅びる」と語ります。預言は受け入れられず、トロイは滅びます。

 王子パリスは死に、カッサンドラも捕虜となり、兵士たちの辱めを受け、悲しみの中で死んで行きます。カッサンドラにとって、死は苦悩からの解放でした。拒絶され、否定されることからの解放であり、死だけが彼女を受け入れてくれました。

 ギリシャ神話やホメーロスを教養とする世界では、カッサンドラは良く知られています。そこで、正しいことを主張しても聴かれない人、受け入れられない人のことを、カッサンドラと呼ぶようです。とりわけ凶事、悪い出来事を預言する人も「カッサンドラのような」、と言われるようです。悪い将来を知らされるのはつらいことです。知りたくない、と拒絶したくなります。

 私たちは、自分の将来を知りたい、と願うかもしれません。怖いもの見たさでしょうか。
ところがそれが悪いことなら知らなくて良い、とも考えるようです。今で言えば、病名告知などが相当します。治る病気なら知らせてください、治らないなら誤魔化してください、と願うこともあります。あくまでも自分のご都合です。
黙示録の時代、キリストを信じる者たちは勇敢でした。教会を指導する者たちは、もっと大きな勇気を発揮しました。

 彼らは、前途に横たわる物、事を見通し、それが気に染まないことであっても、大胆に告げ知らせました。信仰者は、それを聞いて、奮い立ちました。
艱難の向こうには勝利がある、と聞いたのです。
 16・17節は、勝利の凱歌です。永遠の勝ち歌です。これは誰も奪い取ることの出来ないもの、信仰者だけが分かち合い、共に声を合わせることが出来ました。

 高い山に登るのは、なかなか難しいことです。誰でもが登れる、とは言えません。体力、気力、知識、知力、経験が必要です。時間と財力も加えたほうが良いでしょう。しかし、この神の国へは、誰でもが、登れます。東京・高輪にカソリック教会があります。50年ほど前に、この教会の青年たちが、江戸時代の隠れキリシタンを研究し、小さな本を造りました。『ぱらいその寺へ参ろうぞ』と題されました。普通の庶民が、知恵と力を与えられ、支え合いながら信仰を貫いています。パライソは、パラダイス、パラディソの訛りでしょう。天の御国を目指して歩む人々、私たちもその一人です。

 私たちは、苦しみ、悩みがなくなるように、試練が来ない様にとは祈りません。
与えられた試練を乗り越える知恵と力をお与え下さい、と祈り、歌いつつ歩みましょう。