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2008年11月9日

《キリストの平和》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
コロサイ3:12〜17

降臨前第7、讃美歌20,194,351、交読文25(詩103篇)

聖書日課 マタイ3:7〜12、創世記13:1〜18、ガラテヤ3:1〜14、
詩編105:1〜11、

北の寒気が南下したようです。一気に気温が下がってきました。12月半ば並といえば、立派な冬でしょう。そろそろコートの支度を、という声がありましたが、ここ大阪ではよほど風が吹くようなことでもないと、薄手のコートで間に合っていました。さて、今年は如何なものでしょうか。

前回は、とりわけ『貪欲』にご注意いただきたい、とお話しました。
貪欲は、自分に何の権利もないものを欲しがることである。諸悪の源泉となる。
これを抑制しないで放置するとどうなるでしょうか。必ずものの取り合いが起こり、争いとなります。家庭の中でも、学校でも、企業間でも、民族、国家の間でも絶えず争いが起こっています。平和ではなく、不和が生まれて来ます。不安と絶望と憎悪が起こりました。これを避けるために、貪欲を抑え、適正な利潤を喜び、利得を分かち合うようにするのです。みんなが一緒に喜び、共に生きるようにするのです。ここに平和が生まれます。

コロサイ3:12以下は、その続きです。ある学者は12節から17節を「教会の生活」という小見出しでまとめています。「キリスト者の生活」の続きと考えて間違いありません。
この部分では特に、賞賛されるような良い生き方が上げられています。

「憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」を身に着けるように勧められます。 
私たちが、これに対して「わかった」と言うなら、「それでは何かが変わったはずだ。それを見せてもらおう」と言われそうです。解ることは変わることです。

次の節はそのことを明らかにします。「互いに忍びあい、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」。私たちは、イエスを主キリストと信じるものである、と自認しています。キリスト信者なのです。仏教、神道の世界であるこの日本の国の中で、とにもかくにもクリスティアンのつもりです。しかし、このように言われ、求められると、自慢じゃないがどうも難しいなア、と言わざるを得ません。自分を正しい、とするために他者を責め、裁き、退けようとするのです。私自身のことです。

筆者は、何故このように難しいことを求めることができたのでしょうか。

主があなたがたを赦してくださったのだから、同じようにしなさい、と当たり前至極の感じで書き送ります。そして更に、これら一切に愛を加えなさい、愛こそがこの困難な課題を完成させます、と語ります。
ここでも私たちは、異なる経験をしています。愛があると事柄が余計厄介なことになってしまう、混乱してくる。ビジネスライクのほうが宜しい、とも言われます。

箴言も27:6で語ります。「愛する者が傷付けるのは、まことからである。

             あだの口づけするのは偽りからである」。

私たちが他者に向ける愛は、これほどに難しいのです。すべてを完成させる、成就させるよりも混乱させてしまうことが多いようです。 

15節は、もうひとつの求めです。
「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」。この平和に与らせるために、「一つの体」に招かれたのです。これは教会を指しています。
「一つの体」キリストは、キリストの体と呼ばれた教会全体の頭である。
私たちが召されたのは、キリストの平和に与るためです。それなのに教会の歴史は争いが絶えず、内と外で抗争を繰り返しています。個人的な生活においても争いが絶えません。

心配事が多く、平安など感じられないこともあります。失望、落胆、疑惑、焦燥、嫌悪、憎しみ。他の人に与えたり、自分が受けたり、さまざまです。キリストだけを主と崇める平和の教会になっていないことを見出します。

矢張り、私たちがキリストがなさったようにすることは、大変に難しいのです。

ここで私たちは、アメリカ大統領選挙の結果について、少しばかり考えてみましょう。
すでにご存知のように、共和党・マッケイン候補、民主党オバマ候補の戦いでした。
投票の結果、オバマ候補が圧勝しました。同時に行なわれた上院議員の選挙でも民主党が勝利。議会でも民主党が主導権を握ることになりました。アメリカ国民がブッシュを退け、国の変革を選び取った、と理解されています。

バラクという名は、旧約聖書の中に、二人見られます。

まずBalak,これはモアブ人の王。彼は、モーセがアモリ人の王シホンとオグを打ち破り、モアブの地(ヨルダン川の東岸、死海の北端の辺り)を脅かすのを見て恐れをなした人物。バラクは反イスラエル同盟を組織しようとします。またバラムを召し出し、イスラエル人を呪わせようとしました。しかし、バラムは逆にイスラエル人を賞賛し、彼らの勝利を預言しました。(民数記22〜24章)

他の一人は、Barak,彼はアビノアムの息子、カナンの王ヤビンとの戦いにおいて、デボラの右腕となって働いた人物です。ヤビンの将軍シセラとその軍勢、900両の鉄の戦車をナフタリとゼブルンの一万人の兵をもって打ち破りました。士師記4・5章、(385ページ)勝利の讃歌「デボラの歌」は二人が共に歌っています。

次期アメリカ大統領はBarak Obama,どちらもパソコンには初登場、入力ミスになってしまう。それでもこの名が、旧約聖書から付けられていることが分かる。女預言者の片腕となることは、ヒラリー女史が大統領になり、その副大統領となるべきであった、と言われそうに感じる。実際はそのような広報活動はなかったようです。

彼は、フセインというミドルネームをもっていることが、一時期報道されました。その後消えています。事情は知りません。選挙報道は公正を求められます。これはイスラムの名です。大預言者ムハマドの一族の名である、と記憶します。中立・公正を期して報道から削除したのでしょう。

アメリカの国民は、アフリカ系の有色人種、イスラム圏で生育し、イスラムの名を持つオバマを選びました。たいへん大きな変革を確実に選びました。肌の色や、言語、宗教によらず、その人の人格をもとに選択し、国の行方を委ねました。平和は、正義と公正、自由と平等が行われるところに実現します。今回、平和への選択が行なわれました。

この変革に向けた大きな流れを振り返って見ましょう。1839年「アミスタッド号事件」奴隷解放を巡って国論は分裂しました。19世紀のリンカーン大統領、1863年「奴隷解放宣言」を一つの大きな波とすれば、20世紀のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアはもう一つの波となるでしょう。

1978年、初版が発行された「朝日―タイムス世界歴史地図」を持っています。ここにはマルティン・ルター・キングのことは載っていません。ヴェトナムなど1975年に関する記事はありますが、ケネディ暗殺も書かれていません。後世への影響が大きい、とは考えられなかったのでしょうか。その後の歴史の動向について洞察が欠けているようです。あの時点では、優れた歴史学者であっても、これほど早く変革の時が来るとは考えられなかったのでしょう。私などはいまだに信じられません。

1963年、ワシントン大行進が行なわれました。 
1968年3月4日キング牧師39歳で暗殺される。
1989年、ヴァージニア州で初の黒人州知事誕生。ダグラス・ワイルダー
この時彼は、必ず黒人大統領が生まれるだろう、と信じたそうです。それから20年。
キング牧師の有名な演説の一部をお読みしましょう。


『私には夢がある』1963年8月28日
仕事と自由のためのワシントン行進における演説

「私は今日あなたがたに申し上げたい。

今日も、そして明日も我々が困難に直面するとしても、私にはなお夢があるのだということを。それはアメリカの夢に深く根ざした夢である。
すなわち、いつの日かこの国が立ち上がって「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわち、すべての人は平等に作られ・・・」(独立宣言の一句)と言うあのわが国の信条の持つ真の意味を生きるようになるだろうという夢である。

私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになるという夢が。

私には夢がある。今、不正義と抑圧の炎熱に焼かれているミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わるだろうと言う夢が。

私には夢がある。今は小さな私の四人の子供たちが、いつの日か肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住めるようになるという夢が。私には夢がある。

私には夢がある。悪意ある人種差別主義者や、「介入」とか「無効化」と言う言葉で唇をぬらしている州知事がいるアラバマ州でさえ、いつの日か、幼い黒人少年少女が、幼い白人の少年少女と手に手をとって姉妹兄弟となることができるという夢が。私には今日、夢がある。

私には夢がある。いつの日か、すべての谷は隆起し、丘や谷は低地となる。荒地は平になり、歪んだ地もまっすぐになり、そして主の栄光が現れる。その光景を肉なる者が共に見るという夢である。(イザヤ40:4〜5)

これが我々の希望なのだ。この信仰をもって私は南部へ帰っていく。この信仰をもってすれば、われわれは絶望の山から希望の石を切り出すことができ、この国の騒々しい不協和音を美しい兄弟愛の交響曲に作り替えることが出来る。」

キング牧師は、正義と公正、自由と平等を求めています。すなわち、平和を求めています。平和大行進と呼ばれました。実現困難な夢が語られました。それから40年、驚くべきことが、大きな変革が始まりました。

ここには御言葉があります。虐げられた者への愛があります。神への信頼と賛美があります。これは祈りです。神は聞いてくださいました。

私たちも御言葉を蓄え、祈り、賛美し、希望を抱いて待つことができます。

感謝しましょう。