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2007年7月22日

《女性の働き》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書8:1〜3

私は福音的な説教題を付けたいと願ってきた。その点から言えば、今朝の題は、《婦人たちも仕えていた》としたいものです。この時代、女性の社会的地位は低いものでした。その中で女性が主イエスのそば近くあり、その名まで記される、というのは、当時の教会の人々が、女性を認めていた、主イエスの教えが導くままに、という事を示しているのでしょう。その事をお話できるかな、と感じます。

本日最初の日課は、ルカ福音書8:1〜3です。
神の国を告げ知らせる主イエスに従い、奉仕していた婦人たちがいました。
マグダラのマリアもその一人、七つの悪霊を追い出していただいた女です。
ガリラヤ東岸のマグダラという小さな町の出身である事が意味されています。マグダラのマリアは7:36〜50に登場する罪深い女だという説もあります。聖書には明確な叙述はあれません。このマリアはイエスが十字架で死ぬ場面に立会い(23:49、マルコ15:40、41)、イエスの埋葬(23:55、マルコ15:47)を見届けます。彼女はイエスの遺体の埋葬準備に使う香料を墓に持って行き(24:1、マルコ16:1)、死から復活したイエスに出会った最初の人となりました(24:9,10、マルコ16:9)。
ヘロデの家令クザの妻ヨハナとスザンナ、二人はイエスと共に旅をし、宣教の手伝いをしていたと考えられています(23:49)。女性がユダヤ教の教師を経済的に援助することはしばしばありました。ここは聖書の中で、スザンナについて、唯一語られた箇所です。
ヨハナは24:10で再び登場します。クザはヘロデ・アンティパス(ガリラヤの領主、BC4〜AD39在位)に仕える執事でした。

「そのほか多くの婦人たちも」共に旅をしたのでしょうか。
この人達は、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕した」と記されています。
主イエスを取り囲む集団は、今日の教会と、構成がよく似ているように思えます。
中核の部分は男子が占めています。その外側に女性たちが居て、生活上の必要を満たしている、という形です。外側といっても、二次的とか副次的ということではありません。外郭からしっかりと支えているのです。

ついで、使徒書を読みましょう。フィリピ4:1〜3、「主にあって喜べ」と語る部分の導入部になります。最初は二人の女性の名です。
口語訳ではユウオデヤとスントケ、となっていました。エボディアは「良い旅」もしくは「成功」、シンティケは「幸運」を意味するギリシャ名です。
パウロは、福音を広める助けをしてくれたこれらの女性たちに、争いをやめるよう勧めています。彼女たちは、教会に影響力を持っていたので、個人的な争いが教会の争いにならない様にとパウロは勧告しています。彼女たちは教会のために家を開放し、パウロと共に教会設立の最初から働いていたと思われます(4:3)。このような初代教会は「家の教会」と呼ばれました。

更に、三人目の女性が居ます。彼女には「真実な協力者よ」と、呼びかけます。
これを、「真実な」はシュジュゴス、頚木を同じくする仲間、これを固有名詞と解するものもあります。名を挙げて呼びかけているのだ、というわけです。
彼女たちも、多くの同労者と共に、福音のためにパウロその他の人たちと共に戦いました。
戦いというものは、厄介なものです。相手が見えているときは団結して戦います。ところが見えなくなるとバラバラになり、団結が難しくなります。そのうちに互いに戦うようになります。戦う事を覚えたものですから、戦わないで静かにしていることが出来なくなるのです。何処の国の軍隊でも、その組織があれば、自分の組織を守るために戦うようになります。国家を、国民を守るための存在、ということが忘れ去られるのです。
 
この婦人たちは軍隊ではありません。しかし、互いに食い合うようになってしまったようです。三人は対立しやすい数だ、と言われます。協力し合うために何が必要でしょうか。
格別なことではありません。信仰の初心に立ち返ることです。「キリストにあって同じ思いを持ちなさい」。信仰の先輩の中にそれを見出し、敬意をもって、私もあのように歩みたい、と考えた日々があった。そして今は、私にはとても無理です。このぐらいで勘弁していただこう、と考えている。決して自己正当化しているのでもありません。

旧約の日課は、ヨシュア2:1〜14です。ヌンの子ヨシュアは、約束の地を眼前に、二人の斥候をエリコに送ります。彼らと、エリコの遊女ラハブの物語です。
ラハブは遊女とされているが、宿屋の女主人とも思われます。彼女とその家族は後にイスラエルの民の加えられます(6:22〜25)。新約で、ラハブの信仰は賞賛されています(ヘブライ11:31)。ヤコブ2:24,25参照。

かつて、モーセは12部族から選ばれた者をカナンの地に送り、様子見をさせました(民数記13)。彼らはネゲブからヘブロンに至る地を調べ、熟したぶどうの枝を切り取り、二人で担いで戻ってきました。彼らは報告します。「確かにそこは、乳と蜜の流れる所です。しかし、その地の民は大きくアナクの子孫さえおります。我々は殺されてしまいます」。
エフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアとは、多くの者と違い、進んで取るべきだ、と主張します。多数意見のほうが強いのは当然です。いろいろな経過の後、民は、モーセが止めるのにも関わらず、カナン人、アマレク人に戦いを挑み敗れます。
そして、荒野を40年間さまようことになりました。

 40年を経て、今カナンの地を前にしています。その入り口がエリコです。5000年以上昔に建てられた遺跡がある、世界最古に属する古い町です。二人の斥候が送り出されました。
二人は、遊女ラハブの家で一夜を過ごします。エリコの王の知る所となりました。二人の引渡しを求められたラハブは、二人はすでに城門から出て行きました、と応え、二人を屋上に隠します。そして二人に誠意を示します。それは11節の信仰告白です。
 「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられる」。

「屋上・・・亜麻の束」 家の屋根は平であった。人々は階段で屋上に上り、暑い季節には涼むために利用されることがあった。また屋上は、ぶどうやイチジクなどの果物を広げて乾燥させるのに適した場所でもあった。ラハブは亜麻を屋上で乾燥させていたのである。亜麻は収穫後、茎の部分を水につけて柔らかくしたものを乾燥させて繊維を取り出し、紡いで糸にし、亜麻布を織った。
9節以下、ラハブが聞いていたイスラエルの評判については出エジプト14:21参照。
葦の海はナイル川デルタ地帯の東部付近にあった沼か淡水湖のひとつのことと思われる。
出エジプト13:17〜14:9に葦の海とされていたものが、七十人訳ギリシャ語聖書(BC200頃)で、紅海と訳された。
「シホンとオグ」 イスラエルが領地通行することを拒絶したアモリ人の王名。アモリ人は、カナン人同様パレスチナ先住民の総称。

三箇所の聖書を読みました。「女性の働き」とはどのようなものなのでしょうか。
イエスと共にあり、その宣教の働きを支えた女性たち。
そうではあるが、仲間内で争うようになる女性たちでもありました。
そして、異邦人であり、イスラエルでは特に軽蔑されるような女性が、イスラエルの神を世界の主と告白し、その信仰者たちを救おうとする。その仲間になる。

 20日の金曜日午後、京都へ行きました。祇園祭 ではなく、NCC宗教研究所の講演会出席でした。『キリスト教は他の宗教をどう見るか』というテーマです。
キリスト教には不寛容の伝統がある。寛容は宗教改革以来のもの。懺悔と祈祷をもって諸宗教間の対話に勤めよう、というものでした。歴史認識を欠いている、と感じました。もっと語られるべきことがある、とも感じました。
日本にやってきた宣教師、布教師たち、初代のキリスト教徒たちは在来の日本宗教をどの様に評価したのか、聞きたかった。それ以上に不寛容の伝統は事実なのか、何処から、何時生じたものか、疑問です。イエスの時代、排除されていた人たちに対して寛容であったではないか、質問したかったのですが、時間切れということでした。

《女性の働き》と題して、何かひとつの事を搾り出す積りはありません。観てきたように、働きは時と所、機会によって異なります。それぞれに違う力が与えられているように、異なった働きが求められています。すべての人に共通するのは、イスラエルの神を主と拝する一点です。ラハブは異邦人、遊女。差別を受けるかもしれないのです。彼女はそれでも信仰を告白し、その仲間になる事を決断しました。不安に満ちたものです。ヘロデに仕えるクザの妻にも働きの場が用意されました。マグダラのマリアも迎え入れられました。寛容が、堪忍大度が働いています。これがキリストの福音を生きる教会です。