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2007年11月18日

《救いの約束》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ヨハネ福音書6:27〜35

急に寒くなりました。と言っても例年に較べると、一週間ぐらい遅れているようですが、柿の実も真っ赤に色づきました。町行く人もコート姿が多く見られます。冬に向かってまっしぐら、という感じです。それでも土曜の朝の冷え込みは我慢をして、まだ暖房を入れないでいます。寒さを体感しよう、というわけです。ただし、礼拝堂は前週から暖房を使用しています。
四季折々、それらしくあって欲しい、と願うのは、まだ若い所為でしょうか。それとも愚かさでしょうか。寒さが増すにしたがって、身動きも出来ず、引きこもってしまうかもしれません。冬の味覚を味わいながら、この冬を乗り越えて行きたいものです。

本日も、始めは出エジプト2:1〜10です。
出エジプト記は、ご存知のように、奴隷となったヤコブの子孫が主なるヤハウェの導きにより、約束の地カナンへと導き出される物語です。その発端として、第1章では、奴隷となったイスラエルの悲惨な状況が記されます。苛酷な労働はその一つです。もっと非道なことが1:15以下に語られます。「ヘブライ人の女性が出産する時には、その性別を良く確かめなさい。生まれてくる子供が女子ならば生かしておいて良いが、男子ならばそれを殺しなさい」。幸か不幸か、命じられた助産婦はそれを守らず、ヘブライ人奴隷はたくましくその数を増して行きました。そして第2章に入ります。

ヘブライ人奴隷のうち、レビの家系の男女が結婚しました。間もなく身ごもり、男の子が生まれました。三ヶ月は家のうちに隠しましたが、だんだん大きくなるに従い、隠せなくなりました。エジプト王ファラオの命令は、男の子はすべてナイル川に投げ込め、というものでした。この若い母親は、葦舟を造り嬰児を乗せ、川に流します。と言っても川の中央部ではなく、川辺の葦の茂る所だったようです。葦舟は流れに揺られながら、岸辺に造られたファラオの別邸に入ります。丁度水浴びをしようと出てきた王女がそれを見つけ、侍女に命じ、取って来させ、その嬰児を見つけます。水の中から引き上げ、自分の子として育てることにします。名付けてモーセ、すなわち「引き出す」の意味です。引き出され、解放されたものという意味を持ちます。

この葦舟の後をつけていたのは赤子の姉ミリアムです。王女が乳母を見付けなければ、と言うとすぐ姿を現し、言います。「丁度良い乳を飲ませるヘブライ人の乳母を知っています。連れて来ましょうか」。王女もこの子どもがヘブライ人であることを知っています。そこでこの子供を連れて行って、乳を飲ませるように命じます。

こうして滅ぼされるはずの者が救い出され、滅ぼすはずの王ファラオの子として育てられ、やがてイスラエルを救い出す者となります。
 このモーセは、引き出す者、すなわち救う者、ソーテリア、救い主のプロトタイプです。やがて後の世に生まれ、十字架で私たちを罪から引き出してくださるキリスト・イエスを指し示しています。

そのことを論じるのが、本日の新約の日課です。ヘブライ3:1〜6、新約の403ページ。
ここでは、イエスは使者であり、大祭司と呼ばれます。
大祭司は、毎年、イスラエルの民の、諸々の罪のため、贖罪日に生け贄の獣の血を携え、神が臨在すると信じられ、至聖所と呼ばれる、神殿の中心部に入りました。
使者は、特別な任務を与えられ、指導者により派遣されるものです。
ここでは「考えなさい」と訳されますが、見上げる、見つめる、という訳もなされます。
モーセは、あくまでも人間の一人です。この家、造られた世界の内側で忠実に行きました。しかし、イエスは神の子であり、この世界の外側から、創造主に対し忠実にこの世界を治めました。「治めた」という言葉は、分りにくいものがあります。私たちが使う時とは意味・内容が違うためでしょう。ここではいわゆる治める、統治行為などではなく、愛をもって仕えるという意味であろう、と考えています。従って、この治めることは、十字架の死に至るまで、忠実であられたことを意味すると考えられます。モーセと比べる時、忠実さでは似ているけれど、その仕事の面では全く違います。

 私たちは、出エジプトの奇跡には驚嘆します。しかし、それ以上に大きな奇跡に対しては如何でしょうか。それは主イエス・キリストの十字架の奇跡です。十字架は、私たちの罪の赦しのために神が備えてくださった贖いの供え物です。あり得ないような出来事ですが、私たちの心は存外鈍くなってはいないでしょうか。これを奇跡といって驚くことも少ないように感じます。これは私たちが自分の罪の認識、積みの自覚において鈍感なためです。覚罪意識が少ないのです。悪人のほうが、強く悔い改めるのは、このためでしょう。
モーセと似てはいるが、より優れた救い主、神の子イエスがこの世界の中に来られた。

そのイエスが、私たちと何処で連なるかを示すのがヨハネ福音書6:27〜35です。
はじめにお読みいただきました。御覧ください。
22節からガリラヤ湖の畔、カフェルナウムでの群衆に対する言葉が記されています。
ここの中心的なメッセージは「私は命のパンである」ということです。それに続いて「私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」とあります。これは群衆が今現在、飢え・渇きという危機的状況にあることを背景としているに違いありません。

 群衆は、ガリラヤの反対側からイエスを追って、カフェルナウムまで追いかけてきました。すでに5000人への給食をなさいました。五つのパンと二匹の魚、五餅二魚の奇跡です。
教育会館の西側のステンドグラスが思い出されます。その翌日のことを、今読んでいます。
そしてこの教えを語っておられる場所は、あの奇跡の場所の近くであることも記されています。群衆は、パンを食べて満腹したからイエスを探しているのだ、とイエスに言われてしまいます。このパンは前日の奇跡のことでしょうか。そのように解釈することも出来ます。しかし、同時に「しるし」という言葉も使われています。むしろこれがあの奇跡を指しているようです。
この朝、各自がパンを食べて満腹しているから、私を探しに来た、と仰っておられるのでしょう。27節で「朽ちる食べ物」を指しています。これこそ群衆が何よりも求めているものです。

 ローマは、共和政時代も、帝政時代も、市民に小麦と見世物を絶えることなく提供し続けました。それが民衆の求めであり、政治はその欲求を満たすことを使命と考えていました。そのためには、穀倉エジプトを確保すること、運んで来る船を確保すること、円形闘技場に新しい見世物をかけること、が重要でした。何かが欠けるとローマ市民は大騒ぎを起こしたようです。執政官、皇帝の責任を問う声が起こります。現代と変わりません。
 年金が足りない、飢え死にするぞ、というわけです。
財政悪化のため赤字自治体となり、公共サービスが低下する。大阪よりも東京の方がサービスの水準は高い、暮らしやすい、東京へ行こう。とはならなくても、飢えとサービスを必要としていることは同じです。

 ローマの時代、そして現代の人間は共に飢えと渇きを恐れています。その人間の求めはパンです。中学の時、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の一部を読みました。
ジャン・バルジャンが弟や妹のためにパンを盗み、犯罪者となってしまう箇所は考えさせられました。パンのための犯罪者を生み出すのは、その時代の政治家が、行政が裁かれるべきではないでしょうか。
ハンセン病の患者さんの言葉も思い出します。「私たちには、幾重にも重なった苦しみ、不幸があります」。「この病気になったことは言わずもがな、それに加えるに、この日本の国でこの病気になったという大きな不幸があります」。
無知の故の差別と偏見がはびこるこの国を、否私たちを、絶望的なまなざしで見つめる人たちがいるのです。愛と公平に飢え渇いている人々です。

 主イエスは、その時代の中で飢えと渇きを感じる人に、私のもとに来るなら飢えることなく、私を信じる者は決して渇くことがない、と仰るのです。

私のもとに来る、とはどういうことでしょうか。弟子たちのことを考えましょう。
彼らは、間違いなく主イエスの下に来ています。主が呼びかけ、弟子となりました。
何かの契約を結んだわけではないでしょう。心の中の問題として、主のみ後に従い、共に歩みました。随分間違ったこともありました。主の御心が分らないことも、逃げ出したことも、威張って見せたこともありました。それでも彼らは主イエスのもとに来る人々でした。私たちもあのように、主イエスの下へ行くことが許されています。
 私たちが、他の人々を飢え渇きの状態に陥らせているなら、私たち自身のうちに愛と公平が存在していないということです。私たちも知らず、飢え渇いているのです。

ヨハネ福音書4:14「私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」。
主の愛を受け入れ、委ねることです。感謝しましょう。